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『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一八回 武川忠一

武川忠一という歌人の短歌は、「気合が入っているな」という印象がある。
『現代短歌の鑑賞101』に引かれた三十首のうち、最初の三首はこうである。

ゆずらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪巻き上げて
父の外に立ちいる決意少年に氷湖は固き風景となる
氷片に五彩の色を凍らしめ大空深き太陽しずむ

『氷湖』

「ゆずらざる」「決意」「固き」「凍らしめ」「大空深き」など強い印象の言葉が多く、短歌自体のもたらす感情も厳しい印象だ。

それゆえにか、かえって自然を詠んだ作品に私は惹かれた。裂帛れっぱくの気合をそのまま向けられるとウッとなるが、自然を描写していると武川と一緒に眺められる気がするのだ。

日ぐれ道幼きものら摘みためしほたるぶくろに灯のともり来よ

『青釉』

ほたるぶくろとは植物の名前である。釣鐘状に垂れた花が咲くので、蛍が入りそうだからだろう、ほたるぶくろという名前である。子供たちが摘んだほたるぶくろに灯火がともり、彼らの道を照らすようにという短歌だ。
「日ぐれ道」の暗さは、現在東京に住む私にはなじみの薄いものである。暗い道であっても、それは都市の道であって、周りがひらけた日暮れの道ではない。なので、なつかしい感じもある。

越えてきし峠の闇に散るさくら白冴え冴えと流れいるべし

『秋照』


この「闇」もまた、街灯のない闇であろう。峠を越えてきて、もはや闇に包まれているであろう今の時刻の桜の花。その白色を実際に見てはいないし、また現実に峠に行っても真っ暗で見えないように思う。思い浮かべる峠においてのみ、冴え冴えと流れているのである。

ひっそりと自壊してゆく石というこの物体の白き月かげ

『緑稜』

石が自壊するという話になるほどと思った。外から壊されないものはおのれで壊れてゆくのである。その自壊は長い時間をかけて徐々に行われるのだろう。月の光も石もまた、私達人間とは違った尺度の時間を生きているのだろう。

参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著

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