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『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一四回 森岡貞香

森岡貞香については、予備知識がまったくなく読んだ。

月のひかりの無臭なるにぞわがこころ牙のかちあふごとくさみしき

『白蛾』

月の光が無臭で、自分の心は牙と牙がかち合うようにさびしい。意味としてはわからないが妙に美しい。
月の光は短歌によく出てくるが、実際には明確と言えるほど強い光ではないということをよく思う。街灯が発達した現代においてはなおさらである。大正五年生まれの森岡にとってはどうであったか知らないが、弱い光であることは確かだ。

弱い光が「無臭」であるという。匂いがあるはずもないものを無臭であると表現して、かえって月の光は存在感を増しているように思える。そこらじゅうにただよっている光なのに無臭であるという印象を与えるのだ。

夕映をせぬ窓を見ておどろきぬ硝子くししその空き跡の

『未知』

発見の短歌である。夕映えが映っていない窓があると思って驚いたら、窓に硝子がなかった。

夕映えを映す窓も当たり前、硝子がなければ夕映えが映らないのも当たり前で、気づく者には詩人の資質があるのだろう。

ひきだしを引けど引けざりすぐそばに隠れて見えぬものにくるしむ

『百乳文』

この一首もよくある日常を適切に言語化して面白い。ひきだしを引いても引き出せない。ひっかかっている。引っかかっている物は何だかわからない。「すぐそばに隠れて見えぬものにくるしむ」。正体のわからない物に苦しんでいる。

小高賢の解説を読むと、よくあることだが森岡の短歌も森岡の人生を参照しつつ読まれる。夫が急逝し、育てる子供についての短歌もあるようだ。だが、今回私が取り上げた短歌に限らず、『現代短歌の鑑賞101』に載っている歌に境涯を題材にしたものは多くない。幅の広い作者だったのかもしれない。

参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著

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