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『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一一回 山崎方代

山崎方代はかなり好んで読んでいる。
以前、詩歌の読書会で山崎方代を読む回があり、その際数冊本を手に入れたのである。
それらの本はいま手元にない。読書会の資料が残っている。

また、戦争の短歌を調べている際に、戦争が終わった際に自分が馬よりも劣っていると思い知った、という内容の短歌があったことを記憶している。

そういうわけで、今回の読書は山崎方代のすぐれた部分の再確認のようなものになった。

こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた
夜おそく出でたる月がひっそりとしまい忘れし物を照らしおる

『右左口』

書き言葉のなかに喋り言葉が不意にまじってくる可笑しみがある。
「こんなところに」「落ちてしもうた」もそうだが、「照らしおる」も「照らしおり」ではないところに、古語が残った方言のような響きがある。

人生はまったくもって可笑しくて眠っている間のしののめである

『こおろぎ』

このように、素直な感慨から始まっているようで、「である」で急に終わるような書き方もある。人生はまったくもって可笑しいと言われると、親しみやすく感じるのであるが、その親しみやすさのままに、「眠っている間のしののめ」というわかるようなわからないような方代世界に連れて行かれる。

貧しい境涯も哀愁と笑いにつつんだ歌人であるが、その笑いには自らを突き放すような客観視の力があり、次の二首など冷静に社会を詠んでいるという見方もできる。

無一文のわれもこの民衆のひとりにてずれし靴下を又あげてゆく

『方代』

大勢のうしろの方で近よらず豆粒のように立って見ている

『こおろぎ』

生前、金銭的には恵まれない状態が続き、放浪したり、知人の持つ小屋に寝泊まりしたりしていた。それでいて可笑しい作品群をなしえたのはひとつの奇跡だろう。だが、奇跡などという言葉をかければ、この歌人にはひょいと身をかわされそうでもある。

次の一首は『現代短歌の鑑賞101』に引かれているものではなく、読書会の資料から引くが、私の好きな一首である。

留守という札を返すと留守であるそしていつでも留守の方代さんなり

『こおろぎ』

参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著

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