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坂本龍一『NEO GEO』のリイシューに寄せて⑫

もう一人のロビン

共同プロデューサーのロビン・スコットの他に『左うでの夢』では、もう一人のロビンが登場する。ピーター・バカランの紹介でアルバムに参加したロビン・トンプソンである。

ロビン・トンプソンは、ピーター・バラカンのイギリス時代の友人であり、レコーディングを見学しに来たことがきっかけで、急遽レコーディングのメンバーに加わったロビン・トンプソンはマルチ・プレイヤーであり、サックス、笙(しょう)、纂策(ひちりき)など様々な楽器を、このアルバムで演奏している。

これを踏まえると、二人のロビンは対称的な存在である。

というのも、アルバム制作を持ちかけたロビン・スコットはあまり楽器を演奏でき、アルバムへのコミットは限定的だが、もう一人のロビンこと、偶然の成り行きでレコーディングに参加したロビン・トンプソンはマルチプレイヤーとして活躍しているからある。

ロビン・トンプソンが坂本に与えた影響は大きい。ロビン・トンプソンらとのレコーディングを契機に、坂本はアルバム『左うでの夢』の曲を演奏できるバンドを結成しているのである

バンド結成の経緯について、坂本は次のように語っている。

「アルバム「左うでの夢」のレコーディングで知り合ったロビン・トンプソンらのミュージシャンと気が合って、彼らとペンギン・カフェ・オーケストラのような明るいミニマリズム音楽をやってみたいと思ったんですね、この人たちとならできる、と。ぼくとしては初めてのリーダー・バンドのようなものでした。

『Year Book 1980-1985』ライナーノーツ

このようにペンギン・カフェ・オーケストラをリファレンスとしたバンド「B-2 Units」を『左うでの夢』のレコーディング後に結成、10月には5曲ほどデモトラックを作成し、数回ライブ活動も行っている

B-2 Unitsは、坂本龍一をリーダーに、立花ハジメ(サックス)、鈴木さえ子(ドラム)、沢村満(サックス)、ロビン・トンプソン(サックス)、永田どんべい(ベース)がメンバーとなっている

B-2 Unitsは、2017年発売の『Year Book 1980-1985』に収録されたライブ音源を除き、正式な音源がリリースされることもなく、立花ハジメのバックバンドへと自然移行してい注釈1が、一時的にせよ、坂本が生演奏を主体とした音楽活動に軸足を移した意義は大きい。B-2 Unitsの活動自体はさほど注目を集めていないが、私たちはそこに『NEO GEO』につながる萌芽を見出すことができるのではないか。

ロビン・トンプソン=NEO GEO説

『左うでの夢』へのレコーディング参加の流れから、B-2 Unitsのメンバーになったロビン・トンプソンについて深く掘り下げていきたい。

ロンドン生まれのロビン・トンプソンは、ロンドン王立音楽アカデミーとロンドン大学(日本語学科)を卒業。その後日本に留学し、1981年に東京藝術大学大学院の音楽研究科音楽学専攻の修士課程を修了している

ピーター・バラカ注釈2とはロンドン大学時代の学友であり、東京で再会したことが、坂本龍一との音楽活動につながったものと想像できる。

ロビン・トンプソンは藝大で日本の文化を研究しつつ、学外では笙、太鼓、三味線などの稽古に励んでいたという。そして1981年に、沖縄返還10周年コンサートを観に行ったことをきっかけに沖縄音楽に魅力され、三線の演奏も始めている。1995年には帰国するが、2015年には沖縄に居を移し、上地呂敏(うえちろびん)として日本に帰化している

NEO GEO的に捉えれば、ロビン・トンプソンが音楽で描いた地図には、ロンドンと隣に沖縄が位置していたのではないだろうか。

「NEO GEO」の翌年にリリースされた『Beauty』についてのインタビューで、坂本は「アウターナショナル」という概念を提唱している。

「インターナショナル」っていうのは、それぞれの「ナショナリティ」があって、そのナショナリティにおいて手を繋ぎましょうということで、これは「ナショナリティありき」の感覚ですよね。『BEAUTY』でやりたかったのは、そうではなく、個々人が自分の「ナショナリティから出る」ことだったんです。「どこでもないところに、みんなで出ちゃおうよ」という。それが自分の考えるアウターナショナルで、それを音楽的にどう実現しうるのかという実験が、フォスターを題材にした「Romance」であったり、バーバーの「Adagio」や「ちんさぐの花」「安里屋ユンタ」なんです。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36968/3/1/1

そう考えると、ナショナリティを脱却したロビン・トンプソンは、『NEO GEO』のリリースに先駆けて、アウターナショナルを実践していたともいえる。レコーディング見学をきっかけに坂本のアルバムに参加し、その後、バンドのメンバーに加入することになったのは、後に坂本が構想する「NEO GEO」や「アウターナショナル」といったコンセプトを、ロビン・トンプソン自身が体現していたことで、坂本と波長が合ったからなのかもしれない。

坂本の『左うでの夢』やB2-Unitsでの活動は、ニューウェイブの残滓を感じさせながらも、「プレNEO GEO」的な要素を孕んでいたと捉え直すことも可能である。

外国人を積極的に起用した多国籍のバンドを結成し、生演奏を主体にしているという意味において、『NEO GEO』との共通性を指摘できるのである。

注釈

  1. 『Year Book 1980-1985』のライナーノーツによれば、坂本はバンド・リーダーであるにもかかわらず、リハーサルを欠席するなどしていたところ、次第に立花ハジメがリーダー・シップをとって、統率するようになっていったとのこと。立花ハジメはYENレーベルにて、高橋幸宏プロデュースで『H』(1982年)、『Hm』(1983年)をリリースしているが、B2-Unitsのメンバーがレコーディングに参加している。坂本は『H』に参加。『Hm』には、坂本龍一 & ロビン・スコットの名義で発表された『THE ARRANGEMENT』に収録された「THE ARRANGEMENT」を収録、B-2 Unitsのライブでも演奏されている。

  2. ピーター・バラカンは『Esperanto』(1985年)が生まれるきっかけを作るなど、この時期の坂本の音楽活動に影響を与えている。

参考文献

  1. 『サウンド&レコーディング・マガジン』(1981年11月号)、29p

  2. 同上

  3. 『Year Book 1980-1985』ライナーノーツ

  4. 同上

  5. https://www.skmtcommmons.com/quest/news2/detail.php?id=1001096

  6. https://cremu-sitekey.g.kuroco-img.app/files/topics/904_ext_2_0.pdf

  7. 同上

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