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GEISHA GIRLS論④ ーー30年後の少年たち

テイ・トウワから森俊彦へ

GEISHA GIRLSを語るうえで重要なポイントは、坂本龍一とダウンタウンという異色のコラボレーションがもたらすケミストリーだけではない。

アルバムに参加した豪華なミュージシャンについても、GEISHA GIRLSを経由した坂本龍一の音楽活動の変化を論じるうえで、重要な要因である。

前章では、そのような視点から、坂本の右腕ともいえるテイ・トウワについて、坂本とのかかわりやGEISHA GIRLSでの役回りについて、具体的に検証した。

そのうえで、テイがGEISHA GIRLSやKOJI-1200を通じて、坂本龍一とtofubeasやPUNPEEなど若い世代のトラックメイカーとをつなぐ架け橋になっていることについて議論を展開した。

本章ではテイに並んでアルバム制作で主要な役割を果たした、森俊彦についても、GEISHA GIRLS以降、坂本の音楽に与えた影響について子細に検討してきたい。

森は1stシングル『Grandma Is Still Alive』に収録されたテイによるヒップホップトラックの「Kick & Loud」で、アディショナル・プロダクションとしてGEISHA GIRLSのレコーディングに参加している。

『THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー』において、テイが参加したトラックが『Blow Your Mind - 森オッサン チョイチョイ キリキリまい』と、『おいちゃん』の2曲であったことを考えると、2ndシングル『少年』を含む大半の楽曲でリズムトラックを担当した森の存在感は大きい。

サンプラーのEmu SP-1200によるローファイサウンドが森の特色であり、実質的にGEISHA GIRLSのリズムトラックを大きく方向付けていると言っても過言ではないだろう。

補足的にSP-1200について説明すると、90年代半ばまでのヒップホップのトラック作りに欠かせないサンプラーであり、スペック上の制約による12bit24kHzというローファイ・スペックに由来する、太くてザラついた音が定評であった。

たしかに「Kick & Loud」や「Blow Your Mind - 森オッサン チョイチョイ キリキリまい」などのHIP HOPのトラックであれば、SP-1200によるビートはオーソドックスなものである。

しかし、サイモン&ガーファンクルを意識したであろう、フォークソング調の「少年」まで、わざわざHIP HOPのマナーにならって、SP-1200でビートが組まれているわけであり、そのようなねじれの構造がこのアルバムの不思議な魅力であると指摘できよう。

更に言えば、80年代後半に生まれ、ピート・ロックなどの名プロデューサーに愛されてHIP HOPの数々の名作を生み出してきたSP-1200であるが、GEISHA GIRLS誕生の年には、後に名機となるAKAI MPC 3000が登場する。本機ではCDと同クオリティの16bit/44.1kHzでのサンプリングが可能になっており、天才的な使い手として知られるJディラのようなプロデューサーを生み出す。

SP-1200とMPC 3000の違いについては、NAS『illmatic』(1994年)と、テイと深いつながりを持つA Tribe Called Questがディラと共に制作した『Beats,Rhymes and Life』(1996年)を聴き比べればお分かりいただけるだろう。

つまりGEISHA GIRLSのデビューは、HIP HOPの制作環境がSP-1200からMPC 3000へと移行する端境であり、このことは上記のねじれをさらに複雑なものにしているのだ。

その複雑なねじれとは、GEISHA GIRLSのコンセプトは先進的であるにも関わらず、今となってはレトロなSP-1200が、HIP HOP以外の曲でも使用されているという点である。

そしてこの構造は、坂本の『Smoochy』に受け継がれていくこととなる。

ところでテイは、クラブサウンドに接近した坂本のアルバム『Heartbeat』(1991年)、『Sweet Revenge』(1994年)で、リズムトラックを担当してきたが、一転して、GEISHA GIRLSの『THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎の おっさんアワー』(1995年)では、なぜ作品への関与が低いのだろうか。

それは、1stソロアルバム『Future Listening!』を、GEISHA GIRLSデビューの3ヵ月である1994年10月にリリースしており、すでにこの頃はソロ活動に軸足を移していたが理由として考えられる。

つまり、テイは森を坂本に紹介することで、自分が担っていた役割を引き継いだと推測できるのではないか。

GEISHA GIRLSから『Smoochy』へ

森は『Sweet Revenge』の制作には携わっていないものの、同アルバムのツアーに参加し、『Sweet Revenge』のリミックス版である『Hard Revenge』でもリミックスを2曲担当。

その後はGEISHA GIRLSへの参加を経て、1995年の『Smoochy』ではアディショナル・プロダクションで全面的に参加し、同アルバムのツアーにもキーボードとして同行している。

また中谷美紀の1stアルバムに『食物連鎖』(1996年)にも参加しており、シングル『Mind Circus』、『Strange Paradise』を含む4曲のリズムトラックを担当するなど、坂本の主要スタッフであったと言える。

以上の経緯を踏まえると、『Heartbeat』や『Sweet Revenge』でのテイ・トウワと冨家哲と同じ、坂本の右腕とも言えるポジションを、森は引き継いだと考えられるのではないか。

テイに代わって森が全面的に参加した『Smoochy』では、生涯を通じて演奏された名曲「美貌の青空」を含む12曲中9曲でクレジットされており、SP-1200によるリズムトラックが楽曲の質感に大きな影響を与えている。

HIP HOPではないにも関わらず、SP-1200が多用されている理由は、GEISHA GIRLSからの流れで、森がリズムトラックを担当したことが理由であると考えられるが、当時の坂本がローファイを基調としたブリストル系のサウンドを好んでいたという事情もあるだろう。事実『Smoochy』リリースの際にインタビューでこう述べている。

今、親近感を持っているサウンドというのは、いわゆるブリストル派と言われるポーティスヘッドやトリッキーといったアーティストの音なんです。まあ、言われ続けていますが一種ローファイというか。事実、今回のサンプリング・レートの低いサンプラー……もちろん森君がずっと使っているSP-1200を含め、KORG DSM-1、Fairlight IIなどを集めて使っています。

『キーボードマガジン』(1995年11月号)

森を経由してSP-1200という視点で捉えると、『Smoochy』とGEISHA GIRLSは同一線上に位置すると考えることも可能である。

GEISHA GIRLSから中谷美紀へ

もっとも森は、中谷美紀の『食物連鎖』にも参加しており、こちらではSP-1200によるローファイサウンドは鳴りを潜め、当時の中谷を象徴するかのように、瑞々しい-POPSサウンドを提供している。

中谷は『食物連鎖』リリースの前年に発表された『Smoochy』で、「愛してる、愛してない」にボーカルで参加しているが、森もリズムトラックを担当。そして、GEISHA GIRLSの「少年」でギターを弾いた佐橋佳幸も参加している。

つまり、森のリズムトラック、佐橋のギターという組み合わせは、GEISHA GIRLSから始まり、『Smoochy』を経由して、中谷美紀にまで引き継がれていくのである。

これらの事実を踏まえると、坂本の1990年代におけるJ-POPシーンへの参入は、GEISHA GIRLSを起点として、中谷美紀で花開いたと言えるのではないだろうか。

後で詳述するが、このような流れを作ったのは、GEISHA GIRLSの「少年」を手掛けた作詞家の売野雅勇によるところも大きい。

歴史にIFは禁物と言うが、ニューヨークの坂本が、マネージャーのレンタルしたダウンタウンの出演番組のビデオを見ていなかったとしたら、GEISHA GIRLSは誕生してないだろうし、坂本の音楽活動も大きく変わっていたのかもしれない。

そのように考えると、GEISHA GIRLSが坂本に与えた重要性はより鮮明になってくるだろう。
もちろん、GEISHA GIRLSがなかったら、浜田雅功が小室哲哉にオファーして、H Jungle with tも誕生していなかったと思考を巡らせることも可能であり、想像は尽きないのである。

森俊彦から坂本龍一へ

これまでSP-1200を補助線に森俊彦とGEISHA GIRLSの関係性について考察してきたが、最後に森自身の音楽活動についても触れておきたい。

森はgütレーベルで女性R&Bシンガーのyukieをプロデュース。1997年にアルバム『Love After Love』をリリースしている。
MISIAのデビューが翌1998年であったことを考えると、その先見性に驚かさせるだけでなく、トラックのクオリティも極めて高い。

実際、Camp Loが参加していたり、一流スタジオのHit Factoryで著名エンジニアがミキシング、マスタリングもスターリングサウンドのトム・コインが担当している。

GEISHA GRILSにも通底しているが、過剰なクオリティとあまりにも早過ぎる先見性は、もしかしたら、gütレーベルの特色なのかもしれない。

また、森はテイのアルバムに参加するとともに、テイらとSP 1200 Productionsというプロダクションチームも結成している。そして、1999年にはテイのレーベルであるAkashic Recordsより『Planetary Folklore』をリリース。90年代の日本のクラブミュージックシーンにおける最後の名作と言っていいだろう。

2000年以降は、Ajapaiとして活動し、後に坂本ともコラボレーションする岡村靖幸をフューチャーした作品を発表するなどしている。

近年では、本人名義で『Sei』(2021年)や『Mu』(2022年)など、坂本龍一の『Async』(2017年)からの影響を思わせるような作品を意欲的にリリースしている。

GEISHA GIRLSから長い時間を経て、ふたたび坂本龍一の音楽に回帰していったというのも、感慨深いものがある。

なお森のFacebookでは、比較的近年と思われる坂本とのツーショット写真が、追悼の念とともに掲載されており、坂本の影響の大きさや人柄を感じさせる。

森が坂本の作品に与えた影響については、『Smoochy』を取り上げる際、ふたたび言及したい。

【続く】



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