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坂本龍一『NEO GEO』のリイシューに寄せて⑧

坂本龍一と遠ざかるニューヨーク

少し脇道にそれながらも、『NEO GEO』に至るまでの坂本龍一の海外ミュージシャンとの交流について検討してきた。本節ではその概要について取りまとめていきたい。

ソロアルバムでの坂本の海外ミュージシャンとの初めてのコラボレーションは、XTCのアンディ・パートリッジとマトゥンビのデニス・ボーヴェルになる。

それぞれのミュージシャンと坂本龍一との接点は以下のようなものである。

アンディ・パートリッジについては、ソロアルバム『テイク・アウェイ』のライナーノーツを『B-2 UNIT』を共同プロデュースした後藤美孝と対談形式で担当したことに加えて、このアルバムが『B-2 UNIT』のリファレンスになったと発言している

デニス・ボーヴェルについては、坂本龍一はザ・ポップ・グループをもともと気に入っており、プロデューサーのデニス・ボーヴェルにも関心を持っていたようである。

ともあれYMOがヒットしたことの功労もあり、この2人のアーティストを迎えて、海外でのレコーディングが実現する。

この頃の坂本龍一は、アンディ・パートリッジとデニス・ボーヴェルだけでなく、同じくイギリスで活動するインダストリアル・バンドのスロッピング・グリッスルにも共感していた

『B2-UNIT』が制作された1980年は、パンクからニューウェイヴへトレンドが移行し、ニューウェイヴを経由したジャマイカのレゲエが、ブリティッシュ・レゲエやダブとして、イギリスでは新しい潮流になりつつあった。

これらを踏まえると、当時の坂本の音楽的な意識は、イギリスに向いていたと判断していいだろう。一方において、同時期の坂本はフリクション『軋轢』に、エンジニア的なポジションで関与しているが、フリクションが立役者となった東京ロッカーズというムーブメントについては興味がなかったと言明している

坂本龍一とフリクションのレック、両者が見ていたであろう音楽的な風景の違いについては、これまでに記してきたとおりである。

レックはニューヨークに滞在し、NYアンダーグラウンドの拠点とも言えるCBCGで、ジェームス・チャンスやリディア・ランチらとバンド活動をした。そして、レック帰国後には近藤等則がNYに滞在し、後にジョン・ゾーンやデレク・ベイリーなどのアヴァンギャルドな音楽家と交流を深めた。
CBGBにも通っていたという近藤等則は、1981年にビル・ラズウェルとバンドを結成しているほか、近藤等則が結成したバンド「IMA」には、レックも加入している。

つまり、1980年のPASSでのプロデュース・ワークにおいて、坂本はNYアンダーグラウンドシーンに、レックを通じて接近していたのである。

奇しくも『B-2 UNIT』のゲストには、当時DNAで活動していたアート・リンゼイの起用も検討されていたという

アート・リンゼイはレックと同じCBGBで活動し、ブライアン・イーノのプロデュースによる『NO NEW YORK』にも参加。ノー・ウェイヴシーンの中心人物の一人でもある。

しかしアート・リンゼイと坂本龍一の共演は、1985年の『Esperanto』まで待たなければならない。近藤等則のバンドメンバーとして、ジョン・ゾーンなど一緒に来日したことがきっかけになっている

1984年の近藤等則のイベント「Tokyo Meeting 1984」でビル・ラズウェルと初共演したことが、『NEO GEO』制作の端緒であったと考えると、近藤等則の影響は特筆すべきものがある。

いずれにせよ、当初からそのような依頼であったことを考えても、フリクションのプロデュースがエンジニアに特化した限定的なものに留まり、アート・リンゼイとの共演も実現しなかった坂本は、1980年の時点ではニューヨークから遠く離れた場所にいたといっても過言ではないだろう。

ネオジェオという建築のムーブメントがあるという記事を読んで、Neo Geographyということだと僕が勝手に解釈し、面白いなと思いました。実際の地理的な位置関係と、日々暮らしている感覚的な「Distance(遠さ)」というのはずいぶん違うなと。

『ONBEAT』 2023/5, P.31

上記に引用した、坂本のNEO GEO的コンセプトに倣って言えば、当時の坂本龍一にとってはニューヨークは、イギリスより遠く彼方にあったのである。

将来ニューヨークに移住することになろうとは、当の本人も予測していなかったに違いない。

参考文献

  1. 『B-2 UNIT』ライナーノーツ

  2. 『Year Book 1981-1985』ライナーノーツ

  3. 『B-2 UNIT』ライナーノーツ

  4. 田山三樹『NICE AGE YMOとその時代―1978‐1984』、161p

  5. 『別冊ele-king アート・リンゼイ――実験と官能の使徒』、20p


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