槇文彦氏がお亡くなりになったという。100歳まで生きると思っていた。今日も著書を読んでいた。悲しい。 ぼくは槇さんを一度みたことがある。神戸芸工大の特講でだ。建築と同様、瀟洒な方だった。老衰か。これでよかったのだろう。
何事もていねいにやること、これ大事。
夢には、青色があまり出てこない。晴れのシーンでも、空は白だ。 よく、初夢で、縁起物として、「一富士、二鷹、三なすび」といわれる。鷹はよくわからないが、富士となすびは青だ。 めったにあらわれないから、そうなっているのかもしれない。
誰にも言わなかったが、こどものころ、念力が使えた。目からビームがでる、あれである。超能力ってものは、こどもや若いころだけで、大人になると出せないものである。 と思っていたら、昨日出た。歩道で、振り向き様になんとなく。ビームが出た。すると、間の悪いことに、自転車の小学生がやってきて、自転車ごと溝に落っこちてしまった。あんな能力、二度と使うべきではない。
母方のおばあちゃんは、風邪をひいても熱は出なかったそうだ。ぼくもそうなのだ。「おばあちゃんとおんなじ」だ。 父方のおばあちゃんに、ある時、電話したら、「白いところで女の子がクルクル回ってるのテレビで見てる」と言っていた。ちょうどぼくも、テレビで、フィギュア・スケートを見ていた。「おばあちゃんとおんなじ」だ。
「前向き」な人が多すぎる。いや、「前向き」それ自体は、なにも悪くない。むしろいいことなはずだ。それでも、すこし気になる。 たとえば、旅行のあとでケガした人のことを考えてみよう。かれはあくまで前向きなので、この後のスケジュールをあれこれ悩んでしまう。が、ケガするのが旅行の前でなくてよかった、と考えるべきではなかろうか? だが、そうは考えないひとが多いように思う。
地震の速報。 早起き。よく眠れなかった。 黄砂。 グラノラ。 下痢。 朝から酒。 メールチェック。 勉強。
「ネガティブになるな!」と自分にむかって書く。
書道は8年くらい習っていた。6才から14才まで。つまり高校受験まで。 ただ、今のぼくの字が、お師匠さんの字に似てるかと問われれば、あまり似ていないと言わざるを得ない。 20代、30代と、空海だとか顔真卿だとか王羲之だとかをみるようになり、それらの影響を受けたから。 また、現在でも、字を書きながら、常に変えようと意識しているから。 もっとも、最近は、あまり字を書く機会はない。英作文で、万年筆で和文を書くときくらい。毛筆の方が自信があるのだが。
よく、「アーキテクチャー」という語を目にする。noteもすぐれたアーキテクチャーだ。 一方、旧来の「建築家」は、「土建屋」と選ぶ所がない。
頭痛がひどかった。とりわけ、おでこの上あたりがズーンと重かった。たぶん原因は寝不足だ。ロキソニンでもダメだった。10時間以上寝たら、すこし改善されたが。 それにしても、この2,3日、ひさしぶりにひどい頭痛だった。頭が働かない。本も読めない。寝ようとしても寝られない。マッサージしてもスッキリしない。結局、「音楽を聴く」くらいのことしかできなかった。 そんな中、いまごろ、『スピッツおばけのロックバンド (youtube.com)』という曲を発見した。 「おばけ」とは何のメタ
本当に大切なのはstyleやmethodなのだ。
見えるものしか信じない。
昔、「ともだち100人できるかな♪」という歌があったが(今もあるのか?)、フォロー数が100人になったので、一旦、ここで止めようと思う(止めないかもしれない)。
駅で切符を買うと、まず切符が出てきて、その後お釣りが出てくる。逆だと思う。まず、お釣りだろう。お釣りを財布にしまって切符だろうから。
こどものときから読書は好きだった。『グリム童話』とか『明智小五郎シリーズ』とか。 だが、哲学の本を読むようになったのは大学に入ってからだ。たまに学校に行くと、図書館で本を読んでいた。東浩紀の『存在論的、郵便的』が出たのが98年。2年生のときだ。 カントの『純粋理性批判』を読んだのはたしか25才くらい。どうもカントが一番偉いのではなかろうか?