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エンドロール

丁寧に時間をかけて綴った物語だった。
ずれるたびに直した歯車で、何度も再生したビデオテープだった。

エンドロールはとっくに終わった映画だった。

味わって、名残惜しくて、ただずっと座っていた。
まばらに席を立つ人たちのなかで、わたしたちだけが所在なく手をつないで座っていた。

言葉を尽くしても尽くしても足りないのは、「やり残したこと」を減らすためか。
もっと何か出来たかもしれない、でもこれが最善なのかもしれない、なにも分からなかったから、同じ映画を何度も何度も上映した。

もう時間だね、とどこからか声が聞こえた気がした。
もう行かなきゃねと目を合わせずに笑った。

飽きるほど見た映画なのに、思い出すのは美しいシーンばかりだった。
この温かさがあれば生きていけると思えてしまうほど、ありきたりで美しかった。

じゃあねと言葉だけ交わして反対方向に映画館を出た。
ひとりって何か分からなくなるくらい、ずっと一緒にいたんだと思った。

言いたいことがたくさん浮かんだ。言えないまま大切に仕舞おうと思った。

思い出は否応なく美化されるものだけれど、出来るだけそのままの温度で残しておきたいとはじめて思った。
大切であればあるほど、奥底に仕舞って、たまに取り出して眺めるのが良い。

あなただけの椅子はそこにあり続ける。
いずれ埃を被っていったとしても。

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