The 3rd Theme 映画「彼らが本気で編むときは、」から考える

 こんにちは。ユイ。です。今回は、2017年に公開された映画「彼らが本気で編むときは、」から考えたことを語らせていただきます。

 皆さんは、この「彼らが本気で編むときは、」、観たことはありますか?生田斗真さんがトランスジェンダーの女性を演じたことで話題になりました。私は、せかい部の活動をきっかけにこの映画を観ました。

 この映画は、SDGsの中の、「ジェンダー平等を実現しよう」と「貧困をなくそう」に深く関係している気がします。

 まず、ジェンダー平等。最初に書いた通り、生田さんが演じたトランスジェンダーの女性「リンコ」がメインキャラクターとして登場しています。
 彼女は、トランスジェンダーであるがゆえに、社会で生きていくうえで、たくさんの差別を受けてしまいます。例えば、事故に遭って入院したとき、女性であると認められずに男性と同じ病室に入らざるを得なくなったり、リンコと同じくメインキャラクターである少女「トモ」の同級生「カイ」の母親「ナオミ」から、冷たい目で見られたり。見ている私まで苦しくなってしまいました。
 そして、この映画の中に出てくる、社会から「性的少数者」と呼ばれる人物は、リンコだけではないんです。もう1人、その人物こそ、リンコに対して異常なものを見るような目を向けているナオミの息子、カイなんです。彼もまた、自分の感情が何なのか分からず、自分の母親が性的少数者を受け入れる性格ではないことも相まって、自分が男の子に恋愛感情を抱いていることを表に出しきれず、苦しんでしまいます。
 リンコもカイも、すごく優しくて、私は2人のことが可愛く見えて、とても好きなキャラクターです。だけど、こんなに素敵な人なのに、性的少数者だってだけで社会から差別的な目で見られてしまう。残念だけど、これが今の現状なんだろうなと思いました。
 でも、男性だろうが女性だろうが、ゲイだろうがトランスジェンダーだろうが、みんな同じ人間ですよね?本人の考え方や意志や願望が、生まれ持った性別と少し違うだけで。
 なんで同じ人間なのに、差別されなくちゃいけないんでしょうか?性的少数者だからといって、何が問題なんでしょうか?彼らが、自らが性的少数者であることを理由に、犯罪を犯したりするわけでもないのに。

 そして、貧困について。この映画の内容は、貧困の中でも「こどもの貧困」に当てはまるかと思います。
 この映画のメインキャラクターであるトモ、彼女は、実の母親から育児放棄を受けています。しかも、1回や2回じゃない。何度も。そして、その度に彼女やリンコと同じくメインキャラクターとなる叔父の「マキオ」のところへ行くんです。トモやマキオにとっては、もうこれが「よくあること」になってしまっている。でも、これって頻繁にあっていいことなんですかね?いきなり、自分の親が、お金だけを置いて側を離れていく。これは、こどもにとって幸せなことなんでしょうか?
 親は、こどもにとって唯一無二の存在であるはずです。一緒に住んでいたら、もう一緒にいることが当たり前だから、親の存在が特別だって気づかないかもしれない。だけど、いざ一人暮らしとかすることになったら、自分の身の回りのこと、完璧にできますか?もし、嫌なこととか辛いことがあって、それが誰かに言えるようなことじゃなかった時、自分だけで解消できますか?私はできる自信ないです。私は、物事が上手くいかなかった時、一番にこう考えます。「このこと話したら、お母さんは何て言って励ましてくれるのかな?」って。「お父さんだったら、何て言ってくれるのかな?」って。
 今、お父さんやお母さんが「いて当たり前」になっている人。何年かかってもいいから、いつか気づいてください。お父さんお母さんの存在が、自分にとってすごく大きくて、すごく特別なこと。
 お子さんがいる大人の方。私は、親の立場ではないので、大人として話すことは出来ません。でも、これだけは言えます。こどもにとって、親の存在はすごく大きいです。すごく特別です。だから、お子さんが寂しさとか辛さとか抱え込まないように、たくさん話を聞いてあげてください。現に、私は両親がたくさん話を聞いてくれて、向き合ってくれているので、多少何かあっても、話聞いてもらおう。それでちょっと気持ち切り替えよう。って思えています。

 ちょっと長くなってしまいましたが、私は「彼らが本気で編むときは、」を観てこんなことを考えました。ちょこちょこ文章がとっ散らかってますが(笑)。みなさんには、この記事を読んでどんなことを感じていただけたんでしょうか?「今の社会がこう変わっていけばいいな」とか、「自分はこうしていきたいな」とか、考えていただけていたら嬉しいです。

 それでは、今回は以上です!読んでくださった皆さん、ありがとうございました。