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コミュニケーションで自分の限界を知る

「覆水盆に返らず」という言葉もある通り、一度こじれてしまった関係を、何もなかったかのように元に戻すことは非常に難しい。

昔の私は、「自分のあの時のあの発言で相手に誤解を与えてしまったのだ」とか「なんでもっとうまくできなかったんだろう」とか、過去の自分の発言や態度にダメ出しして、更にどんどん落ち込んで。。。というパターンが多かった。そして、その人に会う度に、(今度は失敗しないように・・)と細心の注意をしながら接するので、ストレスが半端なく、一日が終わるころにはぐったりで、帰宅後ソファに雪崩込み、ひと眠りしないと復活できないほど疲弊する・・ということも多々ありました。

自分の口から魂がひゅるるるる・・と抜けていくマンガのような画、あるじゃないですか。まさにあんな感じ。

実は今も月に数回、そのような状況下で働かざるを得ない場面があります。

その方とは、何がどうしてそうなってしまうのか、残念ながら理解し合えないままでいます。私は、お互いの考え方や違いを認め合い、調和に向けて歩み寄りたくて問いかけるのですが、どうも、私の率直さは”ふてぶてしく”映り、意見は”反抗・批判”と受け取られるので、埒が明かない。

以前の私だったら、ここらで折れて、自分の意に沿わなくても”空気を読んで”当たらず触らず凌いでいくことに意識を向けていました。それが大人の態度で「正解」だと信じていたんです。

でも、もっと大きな視点に立ち、この仕事が「誰のため」のものなのかをよく考えたら、いろんな意見の違いはむしろ良いことなのでは?と思うようになりました。ひとつの視点より、多くの視点からみたほうが、より客観的で良い答えが出ると思うし、私のような介護職は、スタッフの裁量ひとつで結果がまったく違ったものになるから、なおさらそう思うのです。

そんなわけで、今の私は、

「今、目の前の利用者さんに、自分ができる最善のことは何か?」と問いながら過ごしています。そうすると、自分の行動に、”考えの裏付け”があることから、誰に質問されてもキチンと答えられ、間違いを指摘されても”改善すればよい”と前向きに受け止められます。

また、脳内で繰り広げられるその作業は、自分の判断の基準、大切にしているもの、好き・嫌い、それらを随時、再確認することであり、同時に、他人との価値観の違いを痛感する場面でもあります。

私のこの「正しい」という思いはどこから来ているのか?

それは自分の持つ”ものさし”から見る「正誤・善悪」ですが、私がその”ものさし”で物事を判断するのと同じく、誰もが自分の”ものさし”を持っており、その人、独自の計り方で判断しています。

ここで忘れがちなのが、

「私の”ものさし”」と「あなたの”ものさし”」は違うということ。

わかっちゃいるけど、意識しないとつい、忘れちゃう。

「自分の”ものさし”が一番正確なんだから!」という”思い込み”からくるトラブルのなんと多いことよ。。


だから、あなたの”ものさし”を知りたい。あなたの考えの”基準”を知りたい。

そういう気持ちを常に心掛けたい。

そのうえで、どうしても理解できなくても、「それはそれで」いいんじゃないかと思うのです。そもそも、基準がみな、違うんですから。

それが「限界だ」と受け入れてよし。

私の場合、対人関係に「限界」を認め、受け入れたら、その方に対し、シャッターを降ろすのではなく、扉は開け、風通しのよい環境を作り、放置プレイしてます。(ΦωΦ)フフフ…


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