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利己的と利他的のあいだ

久しぶりに書きます。もう、すっかりイチからやり直す感じで恥かしいなあ。ここに書いてなかったけど、月日の流れと共に、いろんな出来事があり、その都度考えさせられる日々を過ごしております。

先日、仲間を助けるつもりで起こした行動が、結果的に余計なお世話だった、ということがありまして。

「私のことを心配してくれるのは有難いが、利用者さん第一に考えて欲しかった」と残念がられ、30分ほどしょんぼり太郎になりました。そうだった、私って気を遣うといつも失敗するんだった(-_-;)

同時に、自分の行動が利用者のこと考えてないと映ったことにもびっくりというか、なるほど、そうきたか~、と。違う角度からみたら私ってとんでもない奴だな!ありがとう、指摘して下さって♡またひとつ成長できそうです(笑)

医療従事者や介護従事者の仕事って、チームで成り立つものだから、利用者さんを中心に、それぞれの立場を思いやる気持ちを持ちながらいかにスムーズに安全に業務をこなすかを日々問われているわけであります。

けれども、役職を持つ人や、専門性の高い業務などは、一部の人に責任が集中することも多く、代わってあげたくても代わってあげられない、また、頼みたくても頼めない、そんなもどかしい場面も多々あります。

そこから聞こえてくる、疲弊という不協和音。

でも、利用者さんのために、ぐっと我慢し、飲み込んでいる姿をみると、「利他の心」という言葉が浮かんでくるのですが、現実はちょっと違うのだなあ、と思ってしまう。

利他、とは、「自分を犠牲にして相手を生かす」心のことですが、不協和音を生じる人は、自ら望んでそこに居るというより、巻き込まれた渦の中でもがきながら一生懸命、その思いに近づこうとしているようで、生々しい。まさに修行。偉いなあ。ほんとに尊敬する。自分から望んでいるのであれば。

利他の心は、「ねばならない」ではないってこと。

もしかしたら、ここの部分に皆、囚われてしまうのではないかな。

「いい人でいなければ」「利用者さん第一でなければ」「私さえ我慢さえすれば」・・

そう「思わねばならない」と思えば思うほど、自由意志を選択する人に対し、妬みや恨みなど負の感情が生まれてきてしまう。

「私はこんなに頑張っているのに!こんなに我慢しているのに!」って。。

でも。気付いて欲しい、というか、知っていて欲しい。

利他の心になれなくてもいいんだよ。初めからそんな風になれないから。

「うん、全然、利他の心を持ててないけど、私、ここに居るんだよ。ダメもとでもいいの。とりあえずやってみるわ!」

・・ぐらいの心でちょうどいいんじゃないかな。そう思えないなら、思い切って離れてもいい。誰も悪くない。

利他の心って、そうやって、トライ&エラーしながら、少しずつ、すこ~しずつ、育っていくものなんですって。



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