見出し画像

楽しくないと意味がない。と楽しんでね

いつからだろうか。
大人の判断基準の中心に「楽しさ」がどーんと居座るようになった。

スポーツやエンタメはもちろん、習い事から、仕事まで、楽しむことができるかできないかが、最重要任務のようになってきた。

それは、プロであろうが、アマチュアであろうが関係ない。
とってつけたように、同じ発言をする。

楽しみます。
そして
楽しめなくなったので、やめます。

ん?
これって、前からそうだっただろうか?

ずっとそうだった気がするし、でもなにか違和感がある。

今日は少し「楽しさ」について考えてみました。
 
映像として残っているスポーツ選手のインタビューを
振り返って観てみると

90年代以前は、
試合の前は、悔いのないようにやる。
勝利の後は、幸せです。
観客を楽しませる。

という発言する選手は沢山あるが
自分が楽しむ という発言をしている人はみあたらない。

徐々にニュアンスが変わってきているのが、
90年代後半だ。

サッカーの中田選手が、海外移籍の為に、また、自分の為に  プレーしたなど発言していた。当時はとてもセンセーショナルだった。
ただ、今ように、楽しむという発言をしている選手はみあたらない。

大きく変わってきたのが、2000年代の前半からだ。
2004 金メダルを獲得した、北川康介選手が、試合後に、きもちいい。
と発言した。これは、流行語になった。

そのあたりからの気がする。

その後は、今にいたるまで、さまざまな選手が試合のインタビューで
楽しむという発言を残している。

近年は楽しむことが、もう一つの勝ち負けの基準のように
発言する選手もいる。

そう考えると、楽しむという言葉は、
時代とともにその、ニュアンスが変わっているようだ。

わずか数十年で「楽をする」「遊び」という 意味合いから「個性」や「主体性」というイメージも多分に含むようになった。

2021年の現役 選手が、数十年前に タイムスリップして「明日の試合は、おもいっきり楽しみます。」なんて発言しら
こらー! 本気でやれ。手を抜くな~! と怒られるかもしれない。

逆に、数十年前の人が突然、現代にやってきたら、テレビから、ネット、書籍、までいたるところで、「自分が楽しむのが一番」と呪文のように連呼されていいる世界をみて、なんて辛い時代なんだと驚くかもしれない。

感情を表す言葉は、道路標識のようなものだ。
時代とともに、走る私たちの前に注意書きとして現れる。

やっかいなもので、目標に向かい、苦労し努力して走っているときに限って
頻繁に出てくる。

2000年以降の道には、「楽しくないと意味がない」
と書かれた看板の前は、大渋滞だ。

足を止めて、苦悩する。
この道は、進むべきか。止まるべきか。引き返すべきか。

そんな時に、意味を考えても、本で調べても答えはでない。
時代とともに、気づかないうちに、その看板の意味も変わっているからだ。

数十年後は、「悲しまないと意味がない」
と書かれた看板の前は、大渋滞しているかもしれない。

ただ、一つ、どれだけ時代が変わってもかわらないことがある。
それは、「〇〇でないと意味がない」と書かれた看板の先に

あなたの大切な人が立っている。
そして、大きな声で伝えてくれるだろう。

「今日は、楽しんでね」





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?