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メガネ先生のこと3:不信からの逆転

2023/08/15

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メガネ先生に対する不信感を拭えぬまま退院した私だったが、退院3日後に腹痛と発熱があり受診したところ、腸穿孔の疑いありとのことでCT検査。キリスト先生の担当日ではなかったが外来の診察室前でお会いできた。手術するかもとのことで「すまんね」と謝られたが、その日のうちに緊急手術でストーマ造設する羽目になった。

外科の先生に「可哀想だけど」と言われ、WOC(ストーマ専門の看護師さん)の人に「おじいちゃんおばあちゃんも出来てるし、あなたは若いから大丈夫!」と何のフォローにもなっていない励ましを受け、そして前回入院時のメガネからの「ご飯食べられなくなったら困るから」とかいうアホみたいな理由(確かに飢餓は駄目だけど言い方)に無念さを感じ、私の心も態度も荒ぶっていたが抵抗虚しく手術台という俎上の魚と化したのだった。

🐟🐟🐟

目覚めた時にはすでに暗く、個室のベッドで横たわっていた。最初の開腹手術の術後も厳しかったがそれ以上に過酷な痛み。この時は硬膜下麻酔なしだったので目覚めからしてもう痛い。もちろん痛み止めは使われているが追い付かないレベルの苦痛であった。何度ナースコールで痛み止め追加をお願いしたことやら。するとメガネ先生が現れ「麻薬を使います」と宣言した。

遂に前科者になった…わけでもなく、もちろんこれは痛み止めとしての麻薬である。実に不思議なのだが、痛みのある時に使うと依存は生じないらしい。ともかく麻薬追加でマシになった。メガネサンキュー。だが油断はできない、何せあのメガネなのだから。この再会の時にはまだ警戒心MAXであった。

私の危惧した通り2度目の入院でもメガネ先生が病棟主治医となったわけだが、たった数日の間に驚くほどまともになっていた。あまりにまとも過ぎて、何を企んでいるのだ貴様と思うレベルに不快な言動は鳴りをひそめ、業務もきっちり行っていた。
ただ、おかゆ今日から始まりますって言ってて始まらなかった時はやはりメガネはメガネだなって思ったけどな。けれど、部長回診で教授と思しき回診おじさんに「(痛みが治ってきたなら)そろそろ歩きましょうね」と無慈悲な事を言われげんなりしていた私に、今歩けとかそんな鬼みたいな事は言いません、と一応の配慮をしてくれたのはよかった。

私がメガネ先生を見直そうと思ったのは、入院から1週間ほどして腹水のバイ菌が原因で高熱を出した時だ。夜シャワーをしてデイルームで髪を乾かしてたら急な悪寒、そして震え。病室に戻りナースコールを押して、来てくれたベテラン看護師さんに震えは高熱が出る前兆である事を教わる(びっくりするやろ?って言われたけどマジでびっくりした。死ぬかと思った)。その教え通り39度の熱が出て、その上自分ではコントロール不能の震えが来て怖かった。おまけにくしゃみが出るたび術後の傷が痛んで地獄だった。こんなジャンルの痛みもあるのねって感じ。ひどい。

ともかく一夜明けた翌日、看護師さんを伴いメガネ先生来訪。抗生剤2週間使わなきゃだから入院伸びることに。ファック。痛いし苦しいし訳分からん熱出て怯える私に看護師さん曰く、痛い手術2回も乗り越えられたんだから大丈夫だよと。
いや、そういうことじゃないんだよ、苦痛って。痛みAと痛みBって全くの別物だし、A耐えられたらBもいけるとかないし。むしろまた痛い思いをする事が確定していたら以前の記憶で身が竦むのだ。そんなようなことを熱でフラフラの頭で看護師さんに訴える私に、メガネ先生は「抗がん剤やって、ストーマ閉じましょう」と仰った。

ストーマ閉鎖。その可能性だけが私を抗がん剤治療へ向かわせるモチベーションとなっていたのだ。そして、メガネ先生のその言葉にストーマ閉鎖が俄に現実味を帯び、何なら一生モノになるのではと危惧していた私の光明となった。

この時メガネ先生は私の目を見てそれを言おうとしてくれていた。思えば初対面の内診の時もこちらの顔を見て話そうと、内診後カーテンの向こうからやって来ていた。前の入院で患者(私)を蔑ろにするクソ野郎と思ってたけど、もしかしてこの人もこの人なりに患者の力になろうと考えて医師をやっているのでは?と、思えてきたのだ。

それ以降私はクソメガネ改めメガネ先生に必要以上の疑念を抱く事をやめた。「入院中はどれだけ検査しても費用が嵩むことはないし、僕が病院長に叱られるだけですからね」とか、抗がん剤のルートを作りに来た時私の血管が見えづらくて針刺し失敗されがちという言葉を受けての「それは嬉しくないお知らせですね」とか、当初ムカついてた軽口も、だんだんメガネ先生に慣れてくるにつれむしろ楽しくなってきた。(というか、私の血管と同じ血管これですよって自分の腕を見せられたんだけど、何もしなくても視認できるすごく太くて健康的な血管をしていた。羨ましくて針刺す時だけトレードして欲しいと思った)

元より人見知りの私は他者に慣れるのに時間がかかる。メガネ先生への反感にもそういう部分が含まれていたかも知れない。初対面で全面信頼できたキリスト先生が例外的な存在なんだよ。

そして2/14、あの有名なふんどしの日。ベッドに肘ついて腕を痛めた私に整形外科を手配した事を伝えにメガネ先生はやって来た。ちょうど夕食後でデイルームで食器洗ってたところに後ろから声をかけられ振り向くとメガネ先生がいた。ちょっ早で洗い物を済ませ、病室に帰りがてら話を聞くことに。その時持っていた洗い物カゴを持ちますよ、と言ってくれた。紳士ムーブか介護ムーブか定かではないが、素直に嬉しかった(悪いので固辞したけど)。翌日に整形外科を手配したことや、その日は火曜日で、金曜日に抗がん剤初回をやりたいということを特大のくしゃみをしつつ(あまりにでかかったので笑笑ってしまった)お話くださった。短い距離だったけど並んで歩きつつ話をするのはイーブンな立場になったみたいでなんか良かった。

そして点滴初回、針刺し2度の失敗からの成功(失敗どっちもめっちゃ痛かった。ダウジングみたいに血管探された挙句)そして次僕が来る時は点滴で何かあった時ですから、と相変わらずのブラック軽口とともに帰るメガネ先生。

点滴も無事終了し、抗生剤の2週間が過ぎた頃、遂に待ちに待った退院を打診された。今となってはもう楽しかったが、流石に閉鎖空間に3週間は長過ぎる。もう退院できるよってなったその日に退院を決意、前日の夕方訪れたメガネ先生は、今から書類の手配しなくちゃですね、と慌ただしそうにしながら、では外来でお会いしましょうと言って去っていった。

退院後メガネ先生にお会いしたのは、点滴2クール目のがんセンターの外来でのことで、それ以降は会っていない。その時もやはり軽口メガネで、私はもうそんなメガネ先生のことがかなり好きになっていた。メガネ先生嫌っててごめんね。最終的にそんな気持ちになった。

最初はあまりにも嫌いだったけれど、結局彼もまた患者のために働く医師で、そしてなかなかに楽しい人だった。子供っぽい軽口も、私が子供の時従兄弟のお兄さんと夏休みに過ごした時を思い出して最早懐かしい感じがした。今頃どうしているのだろうか。丈夫そうな血管してたから、きっと元気にしてるだろう。

次の入院でまたメガネ先生に会えるか分からないけれど、私の希望としては再会を願う次第だ。

初対面からほんとに印象変わったよ、色々ありがとうメガネ先生。

おわり。

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