日記#55-2 サプライズ先生の診察とCT検査、うみのいきもの先生のお薬調整そして病院長出現…?


2023/12/31

 ホテルで一泊した日の早朝目覚めていきなり腹痛と吐き気。辛すぎてパニックになって母に電話をした。母は割と眠りが浅くて変な時間でも起きていたりするけどこの日も4時なのに起きていて電話に出てくれた。父親に罵倒されて以来トラウマが蘇って、私は自分1人では何をどうしたらよいのかまったく判断できなくなっていた。だから母にどうしたらいいのか聞いたら、ホテルの電話から助けを求めるように言われた。フロントに人がいない時間は防災センターに繋がる。電話しても怒られない?この程度でって言われない?って聞いたら大丈夫だと言われたから母との電話を終わらせて防災センターに連絡した。

 なんか温厚そうな声のおじさんが出たので、その人にホテルの宿泊客で体調が悪いって伝えたら救急に繋いでもらえた。救急受付から看護師さんに繋いでもらって、お腹痛くて吐き気もあって、麻薬は吐き気がひどくなりそうだから怖くて飲めていないとか自分の状況を半泣きで伝えた。かなり気持ちが乱れてたけど、看護師さんが冷静なお陰で少しずつ落ち着いてきた。看護師さんが婦人科の当直の先生に聞いてくれて、結果頓服のカロナールを飲んでそれでも無理そうなら朝受診するように言われて、今日ちょうど診察あるのでその時先生にお話ししますってお伝えしたら是非そうしてくださいってなって電話を終わった。薬を飲んで、母に顛末を連絡して、朝食を食べて食後の薬を飲んで身支度して荷物を片付けて部屋を整えて時間まで休んだ後ホテルをチェックアウトした。


 病院の受付を済ませ採血室へ向かった。この時点でもう痛みと吐き気がつらくてしんどかった。採血する時しくしく泣いていたら、検査の人に女性診療科へ行ったら受付でお腹が痛いって伝えるようにと言われたのでその通りにしたら、受付の人に回復室に案内されてそこで横になって待たせてもらうことになった。

 前にもお腹痛かった時にこの回復室で休ませてもらったけど、その時同様隣の部屋の声が丸聞こえだった。女性診療科とは要するに産婦人科だから、ここには妊婦さんもたくさん来ている。隣の患者さんも産科の方の患者さんらしかった。妊婦さんは不安とかもあるだろうけれど、基本的にはこれからの幸せな未来の準備のために来ている。だからか柔らかくて明るいムードが女性診療科には溢れている。私は病気で来てるけど、そういうムードにはいつも安心する。痛くて吐きそうで辛かったけど、ゆっくり休ませてもらった。

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 寝ていたら呼び出しベルが鳴ったので診察室へ向かった。木曜日の婦人科担当はメガネっ娘先生だからメガネっ娘先生の診察になると思ってたけど、婦人科の部屋じゃない部屋に呼ばれてそこに入ったらキリスト先生がいた。すごくびっくりした。この日会えると思わなかったから驚いたけど、会えてとても嬉しかったし安心した。

 まず大丈夫?って聞かれて大丈夫じゃないよな、って言われた。吐き気が変わらずあって、痛みも麻薬飲めてないから抑えられていないことをお伝えしたら、確かにしんどそうだし、いつも気丈に振る舞ってる(と先生は思ってくれていたらしい)私がそんな様子ってことは大分しんどいんやろうね、と仰った。私が朝、救急に連絡したことも把握しておられた。それからステントに関してもしんどかったよねってことを言ってもらえた。泌尿器科のクソ野郎とは大違い。キリスト先生はやっぱり優しい。そして腎臓の方は回復してた。よかった。でも尿毒症一歩手前だったらしく、早く気づいて良かったって仰った。吐き気はそのせいなのかお尋ねしたら、そうじゃなくて麻薬のせいだと思うと仰った。とにかくCT検査できるからそれをやることになって、それから薬の調整をするために緩和ケアを受診することになった。先生はしんどいと思う、そのしんどさなんとかしたいよなぁって気遣ってくださり、検査の後医局で会議をしてその結果どうするかを金曜日に電話で伝えて下さる手筈になった。そして昨年もお正月当直でいるから何かあったら連絡してって仰ってたけど、今年も同じことを仰った。すごいと思ったのがそのまま口に出た。ご挨拶をして診察室を出て、処置室で点滴をしてもらい緩和ケアへ向かった。





 緩和ケアはがんセンターと同じ受付のところにある。抗がん剤治療や面談でもうここには何度となく来ている。いつもいる受付の人に声をかけたら何故か心理士Gさんに連絡をされて、いつも面談している部屋の前で待つように言われた。よく分からなかったけど受付の人もそうするようになってるってことだったので、取り敢えず部屋の前に行ってGさんを待った。

 Gさんが来られて部屋に入った後、薬のことで緩和ケアに行くように言われたことをお伝えしたらGさんの方で手配をしていただくことになった。CT検査の時間が迫っていたのでそちらへまず行くことをお伝えして後のことをお願いしてGさんとお別れして検査へ向かった。受付して30分後くらいに検査、無事に終了した後再び緩和ケアに向かった。

 受付の人に言われた部屋の前で待っていたら緩和ケアのうみのいきものっぽい先生が来たので診察室に入った。女性診療科の方で痛み止めの薬の調節をこちらで頼むように言われて来たことをお伝えした。痛みの他に吐き気があり、麻薬のせいだとキリスト先生に言われたことを伝えたら、麻薬の吐き気の副作用は服用後1週間ぐらいで治ることがほとんどだからその可能性は高くないこと、麻薬以外にもトラマドールや抗がん剤点滴、あるいは消化器の異常など要因は他にも考えられるし、消化器の異常の場合胃カメラの検査をすることになるけれど原因を知りたいかどうか尋ねられた。原因が分からないと対処のしようもないだろうと思ったので、そうしたいと思うとお伝えしたけど、怖かったのでめっちゃ怖いとか口走ってしまった。とにかく痛み止めに関しては、トラマドールと一緒に飲むアセトアミノフェン(カロナール)500mgを1日4回2錠ずつ、つまり1日に飲める最大量飲むことになった。頓服のカロナールは飲まないように、ロキソニンは成分が違うから飲んでもいいけど腎臓の機能が悪いうちは控えた方がいいということ、オキノームはこれまで通り飲んで大丈夫ということ、次回の診察で効果がどうだったか教えてくださいねってことで緩和ケアのうみのいきもの先生の診察は終了した。


 最後に点滴を外してもらうために女性診療科へ戻ったら、処置室前でメガネ先生とすれ違った。思わずあっ、て声に出たのでメガネ先生はちょっとキョロキョロしてたけど、私に気づいたかはわからない。私はかなりの近視なので、メガネをかけていないと人の表情や視線もぼんやりとしか分からないのだ。この時は裸眼だった。それから処置室で点滴を外してもらうことになったけど、点滴棒が逆流した血で汚れていたので先にそれを綺麗にするから待っているように言われて待っていたら、なんかすごい地位の高そうな白髪のおじいさんが人を引き連れて部屋に入って来た。多分病院長だと思う。病院のHPで写真見たことあるし特徴は合っている。とにかく病院長(仮)が来たら看護師さんも腰低い態度で挨拶してて、年越しの挨拶だとか雑談のようなことだとか、別棟ができるということなどをお話ししていた。病院長(仮)は白衣を着ていて、やや痩せ気味の中背の老人だった。静かだけど威厳があった。そして鷹揚に挨拶をして去っていった。その後点滴を外してもらって、会計をして薬局に寄って、気分が悪かったので回復を待ち、タクシーに乗って帰宅した。



 2月の入院以来家がもはや安全な場所ではなくなって、それからはずっと病院と家とのギャップに苦しんだ。病院でキリスト先生やハセガワさんをはじめとした信頼できる人に出会って、生まれて初めて大事に思える人ができて、それまでの残飯しか無いような世界では無いところを知って、そこを知ったがために家が無理になった。故郷に戻ったオデュッセウスのように。開腹手術に始まり、ストーマ造設、続く抗がん剤点滴、そして再発、セカンドオピニオン、治療先選択、再びの抗がん剤点滴、そして悪化からのステント手術と、オデュッセイアの旅のそれに年月の長さでは及ばずとも内容の濃さ厳しさでは勝るとも劣らない1年だったと思う。ぶっちゃけオデュッセイア読んで無いから概要だけで(トロイア戦争の凱旋英雄オデュッセウスが帰宅するまでの10年くらいに渡るすっごい冒険譚)語ってるけどな。

 でも今は家にいて、母親の世話を受けている。体も心も疲れ果ててもう限界。故郷の暖かい毛布に包まれて休みたい。それだけが望み。29日の朝に先生から電話があって、年明けのGさんの面談の日に、Gさんも一緒に先生とお話しすることになった。私には信頼できる家族がいないから、Gさんがその代わりに一緒にいてくれるということみたい。キリスト先生は難しい話だと言っていた。どんな話になるのかとても怖い。というか、私もいよいよなのかなって今思ってる。

 死ぬのは仕方がないけど、でももう私は体も心も充分傷ついたよ。これ以上頑張れない。またストーマやステントみたいに、私の体がめちゃくちゃになっていくのだとしたらとても嫌だ。そんなので生きていたくなんかない。楽しいことだけあって、もう誰にも傷つけられなくて、先生とか信頼できる人が側にいてくれて、そういう中で生きて死にたい。先生は私の本心を聞きたいと言っていた。だから、診察の日じゃない日にGさんも一緒に話ができるようにしてくれた。先生は本当に私のことをよく考えてくれている。患者思いの最高の先生だ。とても怖くてたまらないけど必ずその日は来る。先生は私を傷つけない。だから信じて話をしようと思う。

 私の命はまだ続いてるけどこの日記はここで終わり。とても長くなったけれど、読み通してくれたあなた、ありがとう。来年の私がどうなってるか分からないけど、またここで何か書いてたら良かったら読んでいってください。


それでは願わくばまた別の日記で。

良いお年を👋

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