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くだらない自意識なんて捨ててくれよ

何故だろうか、ずっと日本にいると息が詰まる気がしてる

私はいつもくだらない自意識と闘っている。
好きなものを好きとなかなか言えない、やりたいことをやりたいと素直に言えない、そんなに知っているわけじゃない、私より詳しい人はたくさんいる、才能があるわけじゃないんだ、向いていないんだ。
そんなことを言って言い訳をする。周りになんて言われるのか、どんな目で見られるのか、気になって結局なにも出来ない。

多分根底にあるのは「否定されたら悲しい」っていう感情。周りはそんなに自分のことを見ているわけでもないし、幻滅されることもない。頭ではわかってるのにやっぱり見えない「周り」の顔色が気になって仕方なくなる。でも向いていないんだ、なんて明らかな言い訳を人に相談することもできない。どんどん自分の中に溜まっていく感情が消化しきれず、そんなことを考えているうちに人付き合いに疲れてしまう。

気持ちにフタをし続けて、もうなにが好きなのかも分からなくなるし、なんだか苦しい。やりたいことが沢山あってキラキラしていた自分はどこへ行ってしまったのだろうか

そんな私だけど「好き」のハードルを下げることができたこともあった。

きっかけはスウェーデンでの留学だった。

留学してた1年間、これでもかというほどのスローライフを送っていた。冬は温かい紅茶を片手に部屋ではキャンドルをたいて、光のゆらめきを眺める。夏は貴重な太陽が出たら数秒立ち止まって日光浴をする、街に咲いてる花や綺麗な景色を見つけては立ち尽くしてのんびり眺めてみる。
そんな日々を過ごしていたら私は生きることへの焦りを感じなくなったし、空白な時間っていいなって思えるようになった。そして意外なほどに周りには「好き」と思えるものが溢れてることにも気がついた。

この時私は好きなものを好きと素直に言える人間になった

そのあとの学生生活、「好き」の感情に身を任せて好き勝手してた。本当に、世界各国で好き勝手やってた。カオスに溢れてて最高に楽しかった

それがどうだろう、日本に落ち着いてから1年1ヶ月たった今。なんだろう、好きなものを好きって言いづらくなってる自分がいる。なんだろうか、息が詰まりそう、そんな感覚がある。

ずっと日本にいると息が詰まる気がしてる。日本にいるから、なんて言い訳じみたこと、と自分でも思う。多分言い訳なんだと思う。

日本にいても好きな自分でいられる、そう言いたいからさ
頼む、くだらない自意識は捨ててくれ、と思う

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