GitHubの作業中に岩田聡さんのことを思い出した

GitHubにコードをコミット中、ふと岩田聡さんのことを思い出しました。岩田さんは、一般的には任天堂の社長だったということで有名でしょうか。

岩田さんは『Mother2』の作成に深く関わっているのですが、その際に"独自の"バージョン管理システムの作成を提案したそうです。

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石原氏:
 岩田さんが次に着手したのが,自分の作業を更新したことをいちいちほかに伝えなくてもよくなる体制の構築でした。いわゆるCVS(※)的なシステムの開発ですね。
(略)
川上氏:
 PCの世界では個人向けのCVSがあった気がしますが,あの当時の共同作業用CVSって,ちょっと記憶にないんですよね。
石原氏:
 そのシステムの開発を請け負ったのが,まさに三津原さんでした。当時のISDNの64kbpsの回線を二つ束ねて山梨と東京を結ぶサーバーを構築して,スタッフがサーバーにチェックインして自分の作った差分を取ってくる仕組みを構築したんですよね。
(略)
石原氏:
 でも,あのシステムの導入は,まるで我々を原始時代から近代へいきなり連れ出したくらいインパクトのある出来事でした。なにせ当時は,本当にバイク便を飛ばしてROMを渡したりしていましたから(笑)。

『Mother2』発売は1994年8月、岩田さんが『Mother2』のプロジェクトに関わったのは最後の1年、ということはこのバージョン管理システムの提案、構築は1993年頃だと推察されます。すでにCVSは存在していた(1990年初版リリース)とはいえ、まあ先進的です。改めてすごい。

【了】

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