『平和への希求』 その27

さて、次に、上記の事にも関連しますが、「豊かな生活を捨てることはできないから、戦争に反対する」という認識があります。が、この認識の不確かさについては、最早、多言を必要としないでしょう。想定される戦争の危機に際しては、まさに、その豊かな生活の危機が迫っていると称して、豊かな生活を守るためにこそ、外敵と、時期を逸することなく戦って粉砕しておかなければならないという論理が叫ばれることでしょう。

 現代は、戦争遂行が可能な時代ではないのではないか――この命題についての考察も、いよいよ最後になりました。ここで取り上げるのは、「日本が戦争することは、周辺国も反対するだろうから、外国を特別に気にする日本は、それを無視して戦争はできない」という見解です。
 情けない事ですが、戦争抑止の根拠について、確かな要素を見出すことが出来ないわたくしも、実は、この諸外国の批判という問題には、少なからぬ期待を寄せています。確かに、アジアにおいても、嘗て大日本帝国主義の侵略をうけた中国をはじめ多くの国々は、日本の戦争荷担に批判の目を向けることでしょう。
 しかし、それは、実はジャーナリズムや民衆を主とするものであって、必ずしも、政府や政治の声ではないかもしれません。それぞれの国内問題を抱えている政府は、とにもかくにも経済大国である日本の援助を求めて、政治的妥協を計る可能性も大きいと思われます。まして、日本の戦争相手が北朝鮮の場合には、アメリカとの関係もあり、対共産主義というイデオロギー上の問題も絡んで、日本の軍事大国化・日本の軍事行動への不安と懸念をそのまま、日本批判に結びつけるとは限らないのではないかと、わたくしは考えております。特に、韓国など、現実に北朝鮮と戦争状態に入れば、むしろ日本の積極的な支援を求めさえするかもしれません。
 勿論、今後の展望を考えるとき、国家対国家、政府対政府という枠を崩して、民衆対民衆という位相において、絆を深めることは最重要課題かと存じますが、少なくとも、現状のままに物事が推移するならば、残念ながら、周辺国の批判に過大な期待を寄せるわけにはいかないと思われます。実際、そうした遠慮がちな批判に対して、その真意を汲み取って自省するほど、日本政府は、謙虚ではないでしょうし、その戦争へ向かうエゴも弱いものではないはずです。

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