見出し画像

『シン・エヴァンゲリオン』アディショナル・インパクトとはなんだったのか?

『シン・エヴァンゲリオン』の上映があと2週間で終わる。
できたら見納めに行きたいと思っているが、私は後半のゲンドウの独白辺りから全然のれなかったクチなので、どうしようかなという迷いもある。

観終わったあと、庵野さんはあそこら辺から、つまりアディショナル・インパクトの描写辺りから、なにをやりたかったんだろうという疑問がずっと残っていた(なんせノれなかったもので)。

旧劇場版のサード・インパクト描写(シンジの内面描写)の発展型でありながら、シン~ではシンジが運命を仕組まれたキャラクターたちを解放していく。

なんでこんなにキャラクターごとの内面の決着「だけ」に重きを置くのか。
またもやストーリーをほったらかしてまで。
何故?と。

別にナディアみたいにベタな大団円で自分はいいと思っていたし、新劇は一般観客向けに、王道の展開になると思っていた。

しかし、シン・エヴァはそれとは違う様相で、あのアディショナル・インパクトを描いていた。
一般の観客はキャラクターがどうなるのかだけを気にしてるのだろうか、という違和感を私は持った。

それで思うのが、すでに誰かがさんざん言及してるように、庵野さんは成仏をやりたかったんだと思う。さっきはキャラクターごとの内面の決着と書いたが、正確に言えば成仏だ。

シン・エヴァは、2時間半かけて、エヴァンゲリオンの成仏を目的としてつくられたのだろう、と。

しかしそれは、エヴァンゲリオンの作品にずっと触れていたいと願う観客たちを浄化して、成仏させるため、アディショナル・インパクトを描いたということか?

庵野さんは何故そこまでわたしたちを成仏させたがるのか?笑

という奇妙さが、違和感として残る。

めっちゃ補完させてこようとしてたけどあれはなに?笑

※掲載画像はパンフレットを撮影したものです。

ここで考え付くのは、それが庵野さんなりの贖罪、ということだ。
つまり、旧劇までのエヴァンゲリオンは庵野さん(≒シンジ君)の心の補完を描いていた。

そこで、観客の人たちの補完がまだ残っている。という使命感からあのアディショナル・インパクトを描いたのかなあと思っている。

これってちょっと変で、私はもうとっくに補完されたのだよ、あなたも補完されなさい、といっているようでもある。

この無理矢理な感覚は、贖罪からなのだと思える。
君たちを補完する義務が僕にはある!という切迫感というか重たさが、観賞後に残ったのはわたしだけだろうか。

何故にそこまで補完を目指すのか?まあここでは補完という言葉を便利に使いまくってるが、旧劇でもシン・エヴァにおいても、補完が目的なのかというとそれはまたミスリードで、作品のなかにおいて補完はあくまで否定されている。

代わりに、誰か素敵な人を見つけなさい、または、見つけるのがベター、
という他者への眼差しを持つことが促されているが、だからこそ、作品そのものは補完(≒成仏)するのだ、といえよう。

お互い、エヴァンゲリオンから離れて生きようね、というメッセージ自体は旧劇とはほとんど変わらないのだけど、20年分の蓄積をもって、それをやったと。

単に人と人を隔てるものをなくしてひとつになる、という補完ではなく、心が浄化されることで補完される。成仏する。

そうみると、前半の綾波レイ、通称黒波の死はその前置きだったんだなと思えてくる。

なんだかんだとエヴァンゲリオンというのは庵野秀明監督のプライヴェートフィルムのような趣を帯びて幕を閉じるんだなと軽口すぎるかもしれないがそんな感想を抱く。

でも今回、庵野秀明自身、それはそれでよしとしたんじゃないかと思える。
NHKのドキュメントで、ああでもない、こうでもないとDパートのシナリオをやり直そうとし、結果、もう時間がない、これでいくって判断してるんだもの笑。

そして、これが今回一番言いたいところなのだが、アディショナル・インパクトというのは成仏+という別の目的が仕込まれていて、その意味でアディショナルなのであって、それはずばり、エヴァンゲリオン公式の取説ということだ。

あそこでは各キャラクターの成り立ちについて、気になる背景をチラ見せし、ヒントを与えている。
もしくは、こんなのもアリだよ、というひとつの形をみせている。

これをもとにじゃんじゃんあなたたちの二次創作をしていってね、という、二次創作大肯定をしているんじゃないかということだ。

実際、そのお手本そのものとして、公式の薄い本までサービスしている!

成仏をして終わらせるだけではなく、あなたたちの手にエヴァンゲリオンを委ねます、という庵野秀明さんの親切なメッセージ=補完ともとれる。

(冒頭のユーロ支部の書き置きみたいに。
"あとはお願い"。そのメッセージに、マヤが手を合わせるのも、本作が"成仏"と、"あとを託すこと"について描いたものを予告しているようだ。そう考えると、よくつくられていると感心する)

実際、アディショナル・インパクトは、設定資料、メイキングそのものをみてるみたいだった。

それがエヴァンゲリオンのファンへの、庵野さんの最大のサービスなのだというのが、シン・エヴァンゲリオンの真価といえるのではないか。

オタクはガジェットが好き。そして、そのガジェットの設定資料が本当に好き。つまり、取説好きなのだ!
ということは。オタクが好きな取説そのものを映画にすれば、彼らは問題なく成仏してくれるはずだ。自分(庵野さん)がそうなのだから、そうに違いない!…

だとすれば、あのアディショナル・インパクトというのは、なんと愛に溢れてることだろうか。そして、この愛は20年あまりの時間を経た重みがあるからこそ、あえて差し出したものなのではないか。

そう考えれば、ザ・プロフェッショナルでの庵野さんの振る舞い、自分ばかり撮ってないで周りの人たちをもっとカメラに収めてほしいという意見にも納得がいく。
これだけ多くの人がかかわってひとつの作品が作られているということを伝えたかった。

つまりそれも、エヴァンゲリオンにおける重要な取説なのだと。

そんな、取説一直線に貫かれた誠意なのではないだろうか。

それでも期待してしまうのは、カラー公式による庵野秀明監督以外でつくられる外伝だ。

わたしは、碇ゲンドウの物語が一番有力ではないかと思う。シン・エヴァでのゲンドウの独白にノれなかったのは、明らかに過剰だったからだ。

次はやはり、それをやらねばない、というのが本作の、カラースタッフに対するしたたかな所信表明なのではないか、と妄想するのも楽しい。

空白の14年間にも触れられるだろうし、ゲンドウによるエヴァンゲリオン、みてみたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?