おかえりなさい

一昔前、とある声真似するぬいぐるみが流行った。自分の声を録音した後、手をぎゅっと握るとふわふわしたぬいぐるみが体を左右にゆっくり揺らしながら、口をもごもごと動かしながら少年か少女の声で録音した言葉を発するのだ。

どのぬいぐるみの見た目は人型二割動物八割のような姿をしている。私は猫が好きだったので、おさげがついた赤眼鏡の青い猫のものを買った。最初こそは変なことを言わせて楽しんでいたけど、最終的にはその子に「おかえり、今日もお疲れ様」や「一緒に美味しいもの食べよ!」みたいな言葉を私は覚えさせていた。

高校生にもなると中途半端に大人に突っ込んでいるところがあって、もっと褒めてほしい時や慰めてほしい時に素直に甘えることができなくなった。当時の私はそんな満たされない部分をこの子で埋め合わせていたんだと思う。

大人になって、誰かに褒められることが当たり前じゃなくなった。仕方ないとは分かっていながらも、「大人ってつまんないな」と思った。

褒められるには認められるには頑張るしかなくて、頑張り続けるには限界があって。ある日、自分が壊れていってることに気が付いてしまって、そこからはドミノ倒しのごとく悪いことの連鎖連鎖連鎖。

ああ、これはもう終わったな。

私も私以外もそう思ったと思う。ベッドから出れなくなって、勝手に溢れては流れていく涙の感覚がしんどくて、もう勘弁してくれって言葉にもならない溜息をついた。

『おかえり、今日もお疲れ様』と潜もった声が聞こえる。首を横に倒し、声がした方を見つめる。荷物の山の下、ふわふわの手が飛び出ていた。力がなかなか入らない手で、そのふわふわの手を引っ張る。荷物の山から飛び出てきたぬいぐるみ。

『今日も頑張ったね!えらいえらい!』

「頑張った」ってそんな、ただ引っ張っただけなのに。素直に喜べないくせに、私はぎゅっと人形の手を握った。

『いいこいいこ、たまには我慢せずに吐き出していいんだよ』

そうかな、そうなのかな。私はぎゅっと人形の手を、さっきより力強く握った。

『私ね、みんなの期待に答えようと頑張る私のことさ、結構好きだよ』

…うん、ありがとう。私は人形をぎゅっと抱きしめた。少し埃臭いけど柔らかくて温かい。私は人形に頬擦りした後、人形の手を優しく握った。

『一緒に美味しいもの食べよ!オムライス食べよ!』

そういえば今日は朝から何も食べていなかったっけ。

「オムライス、か。久々だけど作れるかな?」

私はよろめぎながら立ち上がる。鉛のように重かった体を軽く捻って、私は人形に微笑んだ。

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