理解されたくない作品

僕がこの作品に出会ったのは中学生の頃だった。

多感なお年頃というか、刺激こそが全てだったと思っていたあの頃の僕。朝の会の前の読書タイム、「だるいなぁ」と思いながらも教室にあった一冊の本を手にとった。

表紙絵が一つもない藍色の表紙、金色の箔が施されたタイトル、黄ばんだ小口。一目で昔の本だと分かった。何故この本を取ってしまったのだろう。僕は、よそ見をしながらこの本に手をかけた三秒の前の自分を呪った。
あまり気乗りはしなかったが、「せめて一頁だけでも読んでおくか」と思いながら、頁をめくった。

「私は、この本を読んだ者全員が『不幸』になればいいと思っている」から始まる、作り話とも自伝とも、ファンタジーとも現実的とも言えるような作品。正直驚いた。国語の時間でさえ、活字をこんなに目で追ったことはない。生まれて初めての体験だった。

「おい小林、読書タイム終わったぞ」と、後ろの席の関口に背中をつつかれる。どうやら僕はこの本を読み続けていたらしい。

僕は読書タイムを使い、この本を読了した。読了したその日の夜は結末を知れた満足感に満たされながら、作者が言いたかったことがなんだったかを考えながら眠りについたものだ。

次の日、読む本がなくなった僕は、読書タイム用に比較的読みやすいライトノベルを持参して読んだ。だが、あの作品を読んだ後だと何処か物足りなさを感じた。

放課後、友人達が教室からいなくなったことを確認した後、僕はあの本のタイトルと作者をノートの切れ端に書いてポケットにしまう。

もっとあの本の解像度を高めたい。
作者が言いたかったことを知りたい。
そのためにはもっとあの本を読み込まなければ。

僕は滅多に行かない本屋に足を運び、その本を探した。昔の本だからか、それとも話題性に欠ける本だったからなのか、その本はなかなか見つからなかった。三軒目の大きな本屋でやっとその作品の文庫本を見つけることができた。学校で読んだ時のものと比べると、言葉の意味や解説などがこれでもかというくらい丁寧に並べられていた。ありがたいと思う反面、余計なお世話だと思った。「僕の頭の中に割り込んでくるな」と編者の名前にデコピンをした。こんな性格だからこそこの作者に惹かれたところがあったのかもしれないなと今は思う。

そして今、僕はその作者を目の前にしている。

〇〇〇

作者と話す機会を設けてくれるなんて、大学のゼミも悪くないなと思った。教授のことはあまり好きじゃないが、作者をチョイスしたあたりセンスある。正直見直した。作者には色々と聞きたいことがあった。そんな僕の姿勢を作者は気に入ってくれたのか、僕と作者が一対一で話す贅沢な機会を作ってくれたのだ。

大学近くの喫茶店で僕は作者と向かい合って座る。僕は作者にあの本で感じた自分なりの解釈を伝えた。僕がこの本を愛した六年の歳月を作者にぶつけた。作者は眉一つ動かさず、珈琲に牛乳をたっぷり入れてよくかき混ぜる。熱くないはずの珈琲にふーっと息を吹きかけ、そしてゆっくりとコップに口につけた。

「僕の解釈は以上です」という言葉で締める。作者は「素晴らしいね」と拍手をしていた。その表情はなんだか寂しさを含んでいた。

「でも残念だ。この作品はもう私のものだけではなくなってしまったんだね」

僕の気まずそうな表情を察した作者は、優しげに苦笑いを浮かべた。

「そう落ち込まないでくれ。これはただの私のエゴだ。物を作るものとして、相手に作品を理解してもらえるというのは勿論素敵なことだ」

「だけど、この作品はちょっと特別だったんだ。特別だったんだよ」

作者のコップの中にあった氷が崩れて、カランと音が鳴った。

〇〇〇

あれから僕はあの作品を読んでいない、と言えたら少し小説の物語っぽいなと思うけれど、僕は今でもたまにあの作品を読み返している。

あの時のような興奮はないけれど読まなくちゃいけない気持ちになるのだ。格好をつけるのならばそうだな、自責の念ということにしようか。

はは、あの作者が聞いたら笑うだろうか。それとも悲しむだろうか。

ベットに寝そべりながら、僕は作者のあの作品の初版本を胸元にぐっと押し付けた。

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