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インナージャーニーに救われた日々

あの時あの曲に出会っていなければ、今日まで生き延びることはできなかっただろう、そんな曲がある。私はインナージャーニーの曲で、そのような出会いが多い。

インナージャーニーは4人組バンド。ギターボーカルのカモシタサラが作詞作曲を務めている。ギターの本田秀、ベースの とものしん、ドラムスのKaitoで構成されている。22、23歳の等身大のパワーで、彼らは曲を奏でている。

私が初めて出会った彼らの曲は「会いに行け!」だった。
その日私は遠距離の恋人とのデートが終わり、寂しさに耐えられないでいた。なんとか悲しさを紛らわそうと「遠距離 曲」でググりまくった結果、この曲にたどり着いた。

「きっといつの日か
なんて言ってる場合じゃないから

花束片手に走れよ
会いたくなったら会いにいきなよ」

帰りの電車でうなだれていた私には、衝撃の一言だった。台所の上の戸棚に、頭を思いきりぶつけたときぐらいクラクラした。そうだ、寂しいのなら、こちらから会いに行けばいいのだ。夜行バスでもなんでも、手段はたくさんあるのだから。
そこから2年くらい、その曲をたまに聴いては自分を奮い立たせていた。寂しくなっても直ぐ新幹線の予約ができるくらい、気持ちの対処法がわかるようになっていた。

もう一つ、私に力をくれた曲がある。「グッバイ来世でまた会おう」である。

「もしもね、僕が死んでも
あの日のレコードをかけて

いつでも君のためだけに
ロックンロールを歌ってあげる」

その曲に出会って数日たったころ、とてもお世話になっていた人の訃報が入った。仕事関係でよくしてもらった人だった。そういった関係の人の訃報が入るというのは、私には初めての経験だった。すごくすごく落ち込んで、たぶんまだすこし、そのことを引きずっている。

吉本ばなな先生の「白河夜舟」という作品に、主人公が親友の死を、恋人に話そうとして
(けれどこの悲しさは、ちっとも上手く伝えられそうに無い。伝えられるのは友だちが死んだ、ただその事実だけ…)といった場面があるけど、本当にそうだ。ぼんやりずっしりとした悲しさは、言葉にしようとしても上手く形にならない。鳥の群れが飛ぶときに、固まったり散らばったりするように、言葉になりそうな手前で溶けて無くなってしまう。

正直、何も考えたくなかった。心が沈んでいるという事実だけがここにある。凹みすぎて、ツラくて、インナージャーニーの曲を、ただひたすら聴き続けた。

今、心は浮上しては沈んでいる。インナージャーニーの曲は、そんな私を俯瞰してくれる気がする。(だらしがないなあ)とつつきながら、元気になるのを一緒に待って居てくれてる気がする。

バリバリ働けていた年度初めごろに戻りたい!そう強く願う。いや、願うだけではいけないな、どうすれば元気になれるのか、具体的に考えなくては。元気な私に会いにいくために、これから走らなければならないようだ。


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