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自分=自分

2023年は、どんな1年だっただろう。
正直、悲しいことの方が多かった年だったと思う。

それでも、僕の好きなものを好きだと言ってくれる仲間と、僕の見ている狂気に塗れた世界を一緒に創りたいと言ってくれる仲間と出会えたことには、本当に感謝をしたい。

今日は、僕が2023年に生きた証を言葉に認めるのと同時に、2024年の僕へ手紙を送りたいと思う。

自分=教育?

ころしのはじまり

2023年がどんな年だったか?と言う問いを目の前にした時、僕は「教育に縛り付けられ、教育に殺された1年だった」と答えると思う。

それは2023年の1月。僕は教育に出会ってしまったのだ。人生をかけて続けたいと思えるもの、狂うほどに熱くなれて、夢中になれるものが教育だった。

僕は嬉しかった。何者でもない僕が、ようやく見つけた「やりたいこと」だったから。

でもどうだろうか。僕は1月の17日、教育に心を殺されたのだ。
正確には、熱を込めすぎてやることを抱えすぎてしまい(やりたいことが多い高校生に多い)過労に見舞われて「心が壊れた音」を聴いたのだと思う。

しかし、僕は心が疲弊してもなお、教育を諦められなかった。ようやく見つけたやりたいことを手放すわけにはいかなかったから。
僕の潜在意識が「僕のやりたいことは教育なんだ」と叫び続けて、僕を教育に定義したのだ。

ここからだった。心が徐々に縛られていく「呪い」にかかったのは…

腐った情熱

過労で倒れてから2ヶ月が経つ頃。復帰後の活動は順調だった。
3月に筑波大学・藤田晃之教授への取材企画を始めたところから、4月には学校の年間課題を全て片付けたり、5月には実際に藤田教授に取材させて頂いたり、6月にはずっとやりたかった「探求型進路指導」や「大学取材体験プログラム」を創ったり。
僕は教育に生きるぞ!!と燃えていた。

ただ7月から、徐々におかしくなっていく。
僕の企画が学園の大人の手に全く取られず唖然とし(学園中の部署を回ったのち却下された)企画を学園外で試そうとするも試せるような場所もコネクションもなく、仲間もいないし集められない。
挙げ句の果てには母から大学受験のことで罵声を浴びる日々。それどころか自分が大学でやりたい教育すら否定される始末。
コロナにかかった8月もずっとそんな日々が続いた。

9月には、教育に燃える心の炎はすっかり勢いを無くし、消える寸前だった。

自分は教育に生きたらダメなのだろうか。
教育に生きれない自分に価値などないのではないだろうか。

教育ができない自分なんて、嫌いだ。

僕はそう思うようになった。
限りなく陰り、淀んでいて、ドロドロに腐っているような気持ちを抱えながら、日々を過ごすしかなかった。

僕は教育に生きたらダメなのだろうか。
教育に生きれない僕はに価値などないのではないだろうか。
教育ができない自分なんて、嫌いだ。

教育ができない自分なんて、嫌いだ。
教育ができない自分なんて、嫌いだ。
教育ができない自分なんて、嫌いだ。

そんな言葉で、教育ができない自分を呪い続けた。

何回泣いたんだろう。何回死にたいって思ったんだろう。

僕の心は、何回殺されたんだろう。

生きていいよと言って欲しかった

9月はとにかく病んでいた。何回死にたいって思ったかわからない。でも、死ぬ勇気なんて到底なくて。
淀んでて、ドロドロに腐った気持ちを誰にも見えないよう隠して、ただ日々を生きるしかなかった。

死ねないから、生きていたのもあるけど、僕はは救いを求めて生きていた。

僕は教育ができない自分が嫌いだった。だから教育ができる場所が、一緒にやってくれる仲間がいれば、まだ生きられるかもしれないって思ってたんだと思う。「生きていい」と思える証が欲しかったんだと思う。

だから日々を生きる中で、僕を救ってくれる何かを探し続けた。

自分=教育じゃない。

10月の暮れ。今日も僕を救ってくれる何かを探しに出かけた。

出かけた先には、僕の好きな友人がいたから出かけるのは苦ではなかったけど、出かけた帰りに別れるのは苦だった。家に帰ってしまったらまた淀みに塗れてしまうし、何よりも友人のそばにずっといたかった。

友人は、僕の気持ちを汲み取ってくれて「帰りたくないんでしょ? お話しよう?」と言ってくれた。

僕が「教育ができない自分が嫌いなんだ」とぽつり溢すと、「私は教育ができないりらくんのこと嫌いじゃないよ。りらくんはりらくんで、りらくん=教育ではないから。」と教えてくれた。

ただ最初は、いまいち意味がわからなかった。「教育に生きることが僕の価値なのに、どうしてだろう」と頭にはてなが浮かんでやまなかった。

しかし実は、この時浮かんだはてなこそ、僕を苦しめていたものだったらしい。

自分=教育と定義すること。教育に生きること。
それは“教育”を主語とし、“自分”を主語から排除することを意味するのだと、友人の言葉が教えてくれた。

自分=教育じゃない。
自分=自分。“自分=自分”のしたいことが、たまたま教育だっただけなんだ。
“自分=自分“の生きたいと思う道に、たまたま教育があっただけなんだ。

目的だった教育が手段になり、肩が一気に軽くなった気がした。

そして、「生きていいよ」と言ってもらえた気がした。

自分の生きたいと思う道

もう少しだけ、生きてみたいと思えた僕は、生きたいと思える道を探すことにした。
わかってるのは、その道に「教育」があることだけ。それ以外は何もわからない。

僕の生きたいと思える道はどこなんだろう。

そんなことを考えながらまた日々を過ごしていると、10月の暮れにあった友人とは別の友人と再会を果たし、こんなことを告げられた。

「りらっち、一緒に会社作らない?」

.................…はぇ?????

いや待て待て待て。急展開すぎでは???

…と思ったそこのあなた。奇遇ですね。僕もそう思います。

ただ、よくよく話を聞いてみると、彼も自分がやりたい教育ができる環境と、一緒にやってくれる仲間を探していたようで、その手段として「会社を作る」ということを企てていたようです。

そんな彼の想いや眼差しは、本物だった。
もしかしたら、自分が生きたいと思う道はここにあるのかもしれない。わたしの直感が疼いてやまないし、彼の眼差しもそれを物語っている。

であれば、生きたいと思える道を、彼と一緒に探そう。

「もう少し生きてみよう」と思った矢先に飛んできた、生きたいと思える道を探しに歩み始めたのは、12月でした。

2024年への手紙

激動の末、生きたいと思える道を探しに歩み始めた2023年。後に続く2024年の物語では、僕はどんな道を歩みたいだろう。

僕は「誰かの未来を形作る今の学びと生き方を応援する」ことを通して「自分自身が生きたいと思える生き方を、学びを通して探しに行きたい」と思ってる。
そのために、会社のことも頑張りたいし、自分が作るキャリア教育企画も頑張りたいし、N/S高新聞での動画編集教育も頑張りたい。あとは、ディスカバやBEAULABO、project:ZENKAIや3rd classといった課外活動プログラムのメンターにも挑戦をしてみたい。「生き方」という文脈では「地域」に根ざす生き方にも興味があって、地域に飛び込むことにも挑戦してみたい。

案外、やりたいことはまだまだいっぱいある。
いろんな人と出会って、いろんな場所に行って、いろんな生き方と出会って、生きたいと思える生き方を見つける。そんな1年にしたい。いや、する。

2024年も一緒に頑張ろう。「自分」から始める生き方ならきっと大丈夫。焦らずに、実直に積み上げていこう。

終わりに

ここまで読んだくださった方、本当にありがとうございました。弱いところいっぱいで未熟すぎる人間ではありますが、自分が生きたいと思う道、好きだと思えるものには胸を張って、正々堂々生きていきたいと思います。

2024年、みなさんと面白い世界を、生きたいと思える生き方を一緒に創っていけますように!

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