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「うた・ひびき・こころ」公演プログラム

ミジカムジカvol.17-2      
うた・ひびき・こころ~日本歌曲の魅力

佐藤真由子(ソプラノ)
山内海波(ピアノ)

吉岡 彩(メゾソプラノ)
坪之内綾華(ピアノ)

2022年5月14日
西宮市民会館 大会議室101

主催:超名曲コンサート実行委員会
後援:関西元気文化圏参加事業
西宮市
(公財)西宮市文化振興財団
クラブファンタジー(神戸女学院大学音楽学部同窓会)
制作:上念省三(ミジカムジカ)

【曲目解説】(題名の後ろは、作曲者/作詞者)

花 瀧 廉太郎/武島羽衣
 オープニングは二人のデュエットで、明るく華やかに春を歌い上げます。作者の瀧 廉太郎(1879~1903)は「荒城の月」でも知られる、日本の近代音楽のはじまりを拓いた作曲家ですが、ドイツ留学中にかかった肺結核のため、わずか23歳で亡くなりました。
 この曲は1900年に組曲「四季」の一つとして発表されました。「のぼりくだりの 船人」という歌詞があり、江戸情緒の屋形船とかかと思っていたら、当時隅田川で盛んであった漕艇(ボートレース、レガッタ)の様子だということです。Allegro moderatoにふさわしい情景ですね。
3番の「げに一刻も 千金の」は、「春宵一刻値千金」(しゅんしょういっこく あたいせんきん)という漢詩から。「春の夜はすばらしい。ほんのひとときが千金にもあたいする!」、北宋の詩人・蘇軾(そしょく 蘇東坡とも)の七言絶句「春夜」からです。
 作詞の武島羽衣(1872~1967)は、東京出身の国文学者、詩人。尋常小学唱歌の編集など、唱歌教育の礎を築き、長年主に女子教育の場で力を尽くしました。
 まずは、ソプラノとメゾソプラノの違い、二人の声の質感をお楽しみください。

第1部【ソ ロ】
【佐藤真由子】
唄 山田耕筰/三木露風
この道 山田耕筰/北原白秋
雪の降るまちを 中田喜直/内村直也
 山田耕筰は1886年生まれですので、瀧より7年遅く生まれましたが、長命を得て、1965年79歳で没しました。対人関係ではいろいろと話題を呼び、政治的振る舞いでも後に「戦犯」と呼ばれるなど、人間としては厄介な話題に事欠かない人物ですが、音楽においては日本のクラシック音楽を、創作においても演奏においても軌道に乗せた、指折りの功労者です。
 特に歌曲では、日本語の抑揚(高低のアクセント、イントネーション)を重視して、自然で美しく、聴きやすいメロディを創りました。
 「唄」は、唱歌「ちょうちょう」のメロディでピアノが始まり、驚かれるかもしれませんね。そもそも「ちょうちょう」はドイツの童謡「Hänschen klein」(幼いハンス)を原曲としており、1881年に文部省の小学唱歌として発表されたものです。山田は「ちょうちょう」を引きながら、それをもとにした変奏曲のように、春らしい喜びに満ちた小品としました。
 「赤とんぼ」でも知られる三木露風(1889~1964)は、日本を代表する象徴派詩人、童謡作家で、青年期の作品はかなり難解です。「唄」でも、日の光の中で子どもが「ちょうちょう」を歌っていると、誰か他の歌声が聞こえてくるようだ、木も草も伴奏(ともあわせ)する…と幻覚を見ているような世界を描いています。
 「この道」は、1926年に雑誌「赤い鳥」発表された童謡で、北原白秋(1885~1942)が札幌を旅した折に美しい景色に心動かされ、幼時に母と歩いた柳川(福岡県)の道や雲を思い出すという、ノスタルジックな佳曲です。前年に発表された「からたちの花」が、拍子がころころ変わったり、音域が広かったり、通作歌曲(同じメロディを繰り返して1番、2番というのではなく、歌詞の進行とともに異なるメロディとなるもの)だったりと、子どもには覚えにくく歌いにくいものだったのに対し、かなり歌いやすくなったとされています。  
 「雪の降るまちを」を作曲した中田喜直(なかだ・よしなお 1923~2000)は、戦後を代表する歌曲、子どもの歌の作曲家です。1951年にNHKラジオで放送された連続放送劇「えり子とともに」の挿入歌で、アクシデントがあったためにわずか1日で一番だけ作られ、後に二番以降の詩が付けられたそうです。そんな慌ただしさは全く感じられませんね。中田が山形県鶴岡市で見かけた降雪風景をイメージして作られたと言われています。
 作詞の内村直也(1909~1989)は劇作家。イプセン、ジロドゥの翻訳でも知られ、戦後の新劇界を支えた一人といわれています。

【吉岡 彩】
歌曲集「みやこわすれ」 千原英喜/野呂 昶
薔薇のかおりの夕ぐれ はっか草 すみれ みやこわすれ
 千原英喜(ちはら・ひでき 1957~)は、西宮市在住。東京藝術大学大学院を修了した際に、大学に作品を買い上げされるなど、若くから才能を注目された作曲家です。作風は ① 日本人のアイデンティティ=古典伝統素材の和風もの、② 東西の祈りの普遍性=キリスト教聖歌や切支丹もの、③ 日本の歌ごころ=POP/演歌な歌謡性、④ Classic Transcription=クラシック曲の合唱アレンジ、を軸としており、この「みやこわすれ」は③に属するということです。
 元は女声合唱曲で、2007年に初演されました。詩情豊かでどこかノスタルジックなメロディが、発表直後から高い人気を得たようです。
 野呂昶(のろ・さかん 1936~)は詩人、児童文学者。創作歌曲に熱心に取り組み、詩誌「ポエムの森」を主宰するなど、詩、児童詩の興隆にも力を注いでいます。
 はっか草はシソ科でミントの仲間。夏~秋にかけて、葉の付け根にごく淡い紫色(白に近い)の小花を固まって付けるそうです。
 みやこわすれはキク科。1221年、承久の乱に敗れて佐渡へ島流しとなった順徳上皇が、佐渡の荒れた庭に野菊が咲いているのを見つけ、父(後鳥羽上皇)が白菊(後に薄紫という解釈に)を愛でていたことを思い出し、「いかにして契りおきけむ白菊をみやこわすれと名づくるも憂し」~この花があれば都を忘れることができる、と傷心のなぐさめにしたという説話から名づけられたと言われています。野呂の詩では、どんなに手を伸ばしても届かない、高貴で涼やかな存在として描かれています。

【佐藤真由子】
かごかき 貴志康一/貴志康一
 貴志康一(1909~1937)は、戦前期の日本を代表する音楽家で、作曲、指揮に画期的な才能を見せましたが、28歳の若さで世を去りました。芦屋に育ち、神戸の深江文化村で音楽を学び、甲南高校を中退してジュネーヴ、ベルリンに渡るという、阪神間文化を体現したような存在です。
 1710年製のストラディヴァリウスを購入、自作作品19曲を自身の指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と録音、ベートーヴェン第九を日本で初めて暗譜指揮など、華やかな話題に事欠きません。
 この「かごかき」(1934年)のような大阪の情景を織り込んだ親しみやすく調子のよい曲にも、日本の旋律と斬新な和声を融合させた、才能の片鱗が現れています。
 詩にある「ほいかご」とは宝恵駕のことで、大阪・今宮戎神社の十日戎の祭に南新地の芸妓たちによって行なわれる参拝行事です。

ひぐらし 團 伊玖磨/北山冬一郎
 團伊玖磨(だん・いくま1924~2001)の父親は、ブリヂストン社長、美術史家、貴族院議員であった男爵・團伊能。世が世なら貴族、バロンです。祖父の團琢磨は血盟団事件(1932年)で暗殺されています。
 團は東京音楽学校に学び、学外で山田耕筰に指導を受けたとのことですが、こんなエピソードがあります。

團伊玖磨は作曲家の夢を持ち、幼い頃から曲作りを行っていました。
ある日團伊玖磨の父は知り合いの山田耕筰のもとに、息子を連れて行こうと思い立ちます。でもこの訪問、実は息子の作曲家としての夢を叶える為でなく、諦めて別の道を歩んでもらう為でした。山田耕筰と口裏を合わせて、息子と共に自宅を訪れます。
 しかし、その頃どっぷり「人相学」にハマっていた山田耕筰。訪れた團伊玖磨の顔を掴み、「この子は作曲家に向いている」とまさかの作曲家の夢を後押し。こうして、團伊玖磨の父の計画は失敗に終わり、團伊玖磨は作曲家としての夢を追い続けます。山田耕筰は音楽面だけでなく、人相学者(⁉︎)としても日本の音楽業界を支えていたのかも⁉︎
「ご縁」って不思議ですね。
 音楽家としては1953年に芥川也寸志、黛敏郎と「三人の会」を結成するなど、戦後の若手音楽家として鮮烈に頭角を現し、オペラ、映画音楽、交響曲など広い分野で活躍します。また、エッセイストとしても有名です
 「ひぐらし」は團がまだ20代前半、1947年刊行の歌曲集『わがうた』の3曲目で、8分の9拍子のゆったりした抒情あふれる人気の曲です。
作詞者の北山冬一郎(本名:冨士田健一)については、生没年も含め詳しいことはわかりませんが、詩人としてはともかく、人物としては周囲の人に迷惑をかけまくり、何かと問題の多い人だったようです。團の家に寝泊まりした時期もあったと伝えられていますが、経緯は不明です。現在では團の歌曲に中にしか記憶されていない詩人と言ってもいいかもしれません。

愛 猪本 隆/鶴岡千代子
 猪本隆(1934~2000)は、北海道生まれの作曲家、元神戸女学院大学教授。日本語による「語り歌曲」という領域を確立しました。重いテーマを扱うことが多く、言葉をきっちりと正確に伝えることと高い音楽性、抒情性を両立させようとした、稀有な作曲家です。
 この曲も愛を主題としながら、涙、悲しい祈り、悶えといった暗い言葉が短調に乗り、それを振り払うように「愛」と歌われる明るいメロディのコントラストがみごとです。
 鶴岡千代子(1926~ ご存命の確認はできていません)は多くの作品が歌曲に取り上げられている詩人、児童文学者。千葉師範学校女子部(現千葉大学教育学部)を卒業し、教職のかたわら、詩作を続けたそうです。

花の春告鳥 小林秀雄/西岡光秋
 小林秀雄(1931~2017)は、日本歌曲の振興に力を注いだ作曲家で「落葉松」は特に有名です。歌曲で有名ですが、ピアノにも秀でており、ショパンやリストのピアノ作品の校訂を手掛けたことでも知られています。文芸評論家として知られる小林秀雄(1902~1983)とは同姓同名の別人。
 春告鳥は一般に桜を誘うウグイスとされていますが、ここではツツジの花ですので、1か月以上遅い時期、もうツバメぐらいの季節になってしまいますね。ツツジの庭で春の花になり、瞬時に海で泳ぎ始める…という幻想的な詩を書いたのは大阪生まれの西岡光秋(にしおか・こうしゅう 1934~2016)。遅い春のむせ返るような空気を感じさせ、後半にかけての曲の昂揚と共に狂気に巻き込まれてしまうような怖さのある曲です。最後にツツジ=花の春告鳥と締めくくられ、謎に満ちた詩です。
 
【吉岡 彩】
うたうたう 信長貴富/宮本益光(歌曲集「うたうたう」より)
 信長貴富(のぶなが・たかとみ 1971~)は、西宮生まれの作曲家・編曲家。高校時代に管弦楽部でトロンボーンを吹いていたそうですが、文学部教育学科を卒業して公務員となったという異色の経歴の持ち主で、作曲をはじめ音楽は独学。そのことが「難しい曲はとことん難しくて、歌いやすい曲はとことん歌いやすい」という作曲ポリシーにつながっているようです。
 歌曲集「うたうたう」は2012年に発表され、「二部合唱のための6つのソング」と副題が付けられています。誰もが口ずさめるような愛唱歌をというリクエストで作られたそうです。三拍子で軽快な部分と流れるような部分のコントラストが美しい親しみやすい曲です。
 宮本益光(1972~)は声楽家(バリトン)で音楽学者、指揮者、作詞、オペラ制作などマルチな才能を発揮しています。

今日もひとつ なかにしあかね/星野富弘(歌曲集「二番目に言いたいこと」より)
 なかにしあかねも西宮出身で、父・中西覚が主宰する西宮少年合唱団で幼いころから歌に親しんだようです。
 星野富弘(1946~)は中学校の体育教師だった24歳の時に、クラブ活動指導中に墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失いました。その後、口に筆をくわえて文や絵を書き始め、1980年ごろからその作品が広く知られるようになりました。
 1992年に発表されたこの曲集には、星野の詩をしみじみと味あわせてくれる曲が収められています。詩と歌にしみじみしていると、ピアノが思いのほか華やかに聞こえてきて、ふとわれに返り、日々の暮らしの大切さに改めて気付かせてくれるような曲だと思います。
 なかにしは勤務する大学のブログで「まずことばがあります。そのことばを生んだ背景としての社会があり、文化があり、歴史があります。ことばを紡いだ詩人の全人格がそこに投入されています。作曲家はそのことばに、全人格をかけて対峙します。その結実としての「うた」なのです。」と書き記しています。詩とメロディとピアノのコンビネーションを味わっていただきたい一曲です。

第2部 【デュオ+ピアノソロ】
翼 武満 徹/武満 徹
 武満徹(1930~1996)は、日本を代表する作曲家で、今この時にも世界のどこかのオーケストラや室内楽で、彼の曲が演奏されていることと思われます。
 武満の音楽の原点の一つに、戦時中の勤労動員で同室の下士官が聴いていたシャンソン「聴かせてよ、愛のことばを」(Parlez-moi d'amour)の衝撃があったと言われています。難解ないわゆる現代音楽、電子音楽の一方で、映画音楽、ソングと言われる歌曲を作るという振れ幅の大きさには、このシャンソンとの出会いがあったのでしょう。
 「翼」は、1982年に西武劇場(現・PARCO劇場)で上演された舞台「ウイングス(Wings)」の劇中歌として発表されました。脳卒中に倒れ、失語症となった元アクロバット飛行士の女性患者の闘病を描いたアーサー・コピット(1937~2021 「ファントム」で知られる)による演劇で、主人公によって歌われたものと思われます。

【ピアノソロ】山内海波
メヌエット 瀧 廉太郎
 東京音楽学校研究科2年の1900年に作られた作品。2分余りの短い曲ですが、日本人による初めてのピアノ独奏曲として知られています。完全な西洋音階、三部形式の三拍子という正統的なメヌエットの形式で、留学前の瀧がすでに西洋音楽を十分に身につけていたことがわかります。

憾(うらみ) 瀧 廉太郎
 瀧の早すぎる晩年、死の4カ月前の絶筆といわれているピアノ曲がこの曲です。肺結核で亡くなったため、自室にあった楽譜や資料などの多くは焼却されたとも言われています。現存する作品は34曲、ピアノ曲は2曲とされており、今日は瀧のピアノ曲をすべてお聴きいただくことになります。
 「憾」も3分余りの短い曲ですが、体力が残っていればもっと展開したかもしれない、最後のコーダ部分などはもっと長く聴きたい…と思います。憾とは恨む・怨むといった他者への憎しみにつながる言葉ではなく、自分自身の心残りや未練、無念を表わし、間もなく死にゆく自身への無念さ、悔しさが表れていると言えるでしょう。

【ピアノソロ】坪之内綾華
春:5月の夢の歌(「4つの小さな夢の歌」より) 吉松 隆
ピアノ・フォリオ…消えたプレイアードによせて 吉松 隆
 吉松 隆(1953~)は、慶應義塾大学工学部を中退という経歴からも想像できるように、アカデミックな音楽教育を受けることのなかった作曲家です。プログレッシブ・ロックのバンドでキーボード奏者として活動していた時期もあったそうで、いわゆる現代音楽の難解さに異を唱えていたことでも知られています。
 「春」「ピアノ・フォリオ」は共に1997年の作品です。「春」はきらきらとメロディアスな変奏曲の形をとり、「ピアノ・フォリオ」は終止を伴わず開放系の宇宙に溶けていくような幻想的なメロディラインが特徴です。
 プレイアードとは牡牛座のプレアデス星団、すばるのこと。6つの星から成るこの星団ですが、ギリシャ神話の7人姉妹に由来し、消えた一人の存在があるという伝説に基づいている曲です。

【デュオ】
心の瞳 三木たかし/荒木とよひさ
 1985年5月に発売され、同年8月の日航機墜落事故で亡くなった坂本九の遺作となってしまった曲。坂本の夫人である柏木由紀子に、本当の気持ちを伝えるラブソングにして、ステージの最後に歌うような曲ができたらいい、というコンセプトで作られたそうです。
 その後多くの人に歌い継がれることになった経緯については、Wikipedia等をぜひご覧ください。歌の持つ力について、しみじみと考えさせられることになるのではないかと思います。
 2017年には、坂本九自身の歌唱音源を使い、柏木由紀子、二人のお嬢さん大島花子、舞坂ゆき子のコーラスをミックスしたCDが発売されました。

いのちの歌 村松崇継/Miyabi(竹内まりや)
 NHK連続テレビ小説『だんだん』(2008~2009)の劇中歌。劇中の音楽ユニット「シジミジル」(三倉茉奈、三倉佳奈、久保山知洋、東島悠起)による唯一のオリジナルソングという設定だったそうです。
 村松崇継(1978~)は、高校時代にピアノソロアルバムを出してデビューした俊秀で、ジブリ作品やUSJの音楽を担当したり、ミュージカルを作ったり、マルチな才能を発揮しています。
 竹内まりや(1955~)は『だんだん』の舞台である島根県出身で、歌手としても作詞・作曲家としても知らない人はいないでしょう。代表曲と言われても困るほどですが、「September」「駅」「元気を出して」「けんかをやめて」など多くの人にとって、人生の節目で大切な曲となっているのではないかと思います。
 この曲も出会い、わかれ、ふるさと、命など、様々な場面で心にしみいってくることでしょう。

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