ミジカムジカ3「霧といっしょに恋をした 」プログラム原稿

ミジカムジカ3「霧といっしょに恋をした~オペラと日本歌曲、それぞれの愛」
ソプラノ 上野 緑
バリトン 菅野翔太郎
ピ ア ノ 渡部里紗

2019年4月21日
西宮市フレンテホール スタジオf
https://mijimuji.jimdofree.com/past/

モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日
 あまり意識したことがなかったのですが、彼の晩年、1789年にフランス革命が起きています。パリとウィーンは約1,000km離れているとはいえ、1793年にギロチンに消えたマリー・アントワネットは「ウィーン女」だったわけで、彼女は革命勃発後、スウェーデン貴族フェルゼンの力を借り(ベルばらで有名な、あのフェルゼンです!)、オーストリアにいる兄レオポルト2世(1790-92在位)のもとへ脱出しようと計画し(ヴァレンヌ逃亡事件)、国民の怒りの炎に油を注ぐと共に、外交問題に発展、フランス革命戦争へとつながっています(なお、レオポルト2世は、先代の兄ヨーゼフ2世とは違って、モーツァルトを冷遇したといわれています)。
 アルマヴィーヴァ伯爵を徹底的にこき下ろし、その仲間たちも嘲笑の対象として、貴族階級を馬鹿にしたこのオペラ、原作となる戯曲はもっと過激で、1784年にパリのコメディ・フランセーズで初演された際には、「特にルイ16世は「これの上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂した」そうです(Wikipediaによる)。その5年後に本当にバスティーユが陥落するとは思わなかったでしょうが。
 なお、原作者のボーマルシェは、時計師、音楽師、王女のハープ教師、宮廷人、官吏、実業家、劇作家など様々な経歴を持つ異能の人物で、アメリカ独立軍への武器提供など、政界の策士としての面も持っていたようです。
 オペラの初演はウィーンのブルク劇場で1786年、原作の貴族批判はずいぶん薄められていたそうですが、やっぱり早々に打ち切られました。しかし、なぜか翌年プラハで大ヒット。そこで交響曲第38番「プラハ」が生まれました。
 オペラの主役男性はテノールが多い中、フィガロをバリトン歌手が演じることについては、「モーツァルトのオペラは単なる恋愛ではなく、より複雑な人間関係を持つため、中間音域での多彩な心理的表現が可能なバリトンが重要な位置を占めるのである。フィガロはその代表的な役柄である」と言われています(東卓治「フィガロ役(W・A・モーツァルト)に関する一考察」 関東学院大学人間環境学会紀要8。2007年)。
 さて、貴族を揶揄し、風刺した芸能としては、日本には狂言があります。実際、2018年には「狂言風オペラ」と題して、「フィガロの結婚」が能楽師、狂言方、人形浄瑠璃によって上演されました。芸術監督を能楽師の大槻文蔵が務め、スイスから来た管楽八重奏団・クラングアートアンサンブルが序曲を演奏する中、フィガロに当たる「家路」(カロ、と読むのでしょう。フィガロのガロね? 狂言の野村又三郎)、スザンナに当たる「梅が枝」(スザンナは百合の花を語源としているので、花つながりか。狂言の茂山茂)、アルマヴィーヴァ伯爵は在原平平(アルマから在原(ありわら)、ヴィーヴァから平平と、ちょっと苦しい…人形浄瑠璃の桐竹勘十郎)が登場するという、大胆かつ破天荒なものだったそうです。掛け合いの中にも「忖度」「文書改ざん」「そだねー」など、現代の政治家や官僚を揶揄する言葉や流行語がちりばめられ、大好評を博したとのこと。きっちりと、現代の「フィガロの狂言」になっていたんですね。
 日本でのフィガロ上演で近年話題になったものとしてはもう一つ、2015年6月に上演された、現代演劇の野田秀樹の演出による『フィガロの結婚~庭師は見た!』が挙げられるでしょう。
 物語の設定は黒船来航の時代の長崎。日本語とイタリア語を併用し、黒船に乗ってやって来た西洋人(伯爵、伯爵夫人、ケルビーノ)と長崎の人たちとの対照を見せるというもの。貴族階級と平民階級、西洋人と東洋人というコントラストを、狂言廻し的な役割の庭師アントニオの目から見て、客席と舞台をつなぐという面白い趣向だったようです。
 要するに、フィガロは今も生きているのです。本日のチラシの束にも、菅野氏が出演する『フィガロの結婚』の案内が入っていると思いますが、ぜひ一度は全編をご覧いただきたいオペラの一つです。長いですけど。

日本の歌曲
 「霧と話した」の作詞者、鎌田忠良は、1939年青森県生まれ。劇作家、詩人、ノンフィクション作家。中でもノンフィクション作家としては、『日章旗とマラソン―ベルリン・オリンピックの孫基禎』『殺人者の意思』『棄民化の現在』『日本の流民芸』『迷宮入り事件と戦後犯罪』など、硬派なタイトルの本を何冊も上梓しておられます。
 「くちなし」は、詩人の高野喜久雄(1927-2006)の作品。高野は神奈川の県立高校の数学の先生でした。数学者としても、「πのarctangent relationsを求めて」という論文を執筆し、その公式は、2002年に円周率 π を小数第1兆2411億位まで計算する際に使用されたといいます。戦後の現代詩を牽引した「荒地」というグループに参加し、難解で社会的な作風の同人が多い中、平易でありながら人間の生命・存在そのものを正面から問う実直な作風が人気の詩人です。
 「結婚」の山之口貘は、1903年沖縄生まれの、貧困や沖縄の現実をユーモラスに描いた詩人。高田渡はじめ、多くのフォークシンガーが彼の詩に曲を付けてうたっています。平易で口語的な語り口と弱者への優しい眼ざし、「精神の貴族」と呼ばれた高潔さ、基本的に反体制的な姿勢が特徴・魅力で、根強いファンの多い詩人です。

貴志康一
1909-1937芦屋に育ち、旧制甲南高等学校で学んだ、日本のクラシック音楽の草分け的存在です。スイス、ドイツへ留学し、ベルリン・フィルの巨匠フルトヴェングラーのもとで指揮者・作曲家としての才能を開花させました。彼が作曲した「仏陀」「日本組曲」などは、海外のオーケストラにもしばしば演奏されます。また、ヴァイオリン曲「竹取物語」は、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞した際の晩餐会で演奏されました。

ピアノ曲
 モーツァルトには、17歳の時にサリエリのテーマを使った変奏曲があります(サリエリの歌劇『ヴェネツィアの定期市』のアリア「わが愛しのアドーネ」による6つの変奏曲)。素材のテーマを感じさせないくらいに自在に変奏し、…つまりはサリエリのオリジナル曲よりもはるかに魅力的になってしまったようです。映画『アマデウス』でサリエリがモーツァルトを憎んでいたという設定になった、最初の事件だったといえるでしょう。
 通称『きらきら星変奏曲』(1778)の主題は、その当時パリで流行し歌われていた歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう(Ah! vous dirai-je, maman)」で、モーツァルトは聴衆に喜ばれるものを主題として変奏曲を作曲したわけです。後に恋の歌ではなく童謡『きらきら星』として知られるようになったのですが、モーツァルトの死後、1806年にイギリスの詩人によって付けられたものです。天国かどこかでモーツァルトさんに会って「きらきら星変奏曲、大好きです!」って言っても、話は通じないと思われます。
 アラベスクとは、「アラビア風の」という意味で、左右上下に連続する植物などの文様のことや、片足で立ち、もう一方の足を後方に真っすぐ伸ばすクラシックバレエの体勢など、様々に使われますが、音楽ではシューマン以来、一つの楽想を幻想的、装飾的に展開する作品の題名に用いられています。今日お送りする曲は『二つのアラベスク』(1888)から第1番。ゲームやCMにもよく使われているので、「あぁー!」と思われることでしょう。19世紀末というのは、異国趣味~エキゾチシズム、オリエンタリズムに溢れていた時代でもあり、印象派の画家には日本の浮世絵の影響が指摘されています。ドビュッシーの交響詩「海」(1905)も葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」からインスピレーションを得たと言われています。アラビア風とか日本風とか、いろいろなテイストを模索していたといえるのではないでしょうか。

(上念省三 専門はダンス批評。音楽は素人なので、厳密なところについては、ご容赦ください)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?