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『ダンスの時間』サマーフェスティバル2008(17)花沙/升田学「FASNACHT」

 クレジットとしては隅地単独の振付・構成・演出による「FASNACHT(ファスナハト)」(復活祭という意味らしい)は、花沙と升田学(元・維新派)によって踊られた。そもそもは5年前にびわ湖ホールのダンスピクニックでセレノグラフィカの2人によって初演され、今春ダンスボックスの子どものためのプログラム(チルドレン・ダンス・ミュージアムプロジェクト「夢見るダンス」)に当たって花沙と升田によって再演されたそうだから、子どもにも楽しめるコンテンポラリー・ダンスであることを想定されているといっていい。
 (しかし、子どもには楽しめず、大人には楽しめるダンスというのも、奇妙なものだ。むしろ、社会的評価とかキャリアとか何も斟酌せずに楽しむことができるのが子どもの享受であるなら、それこそが本来あるべき楽しみ方だから、子どもに通用しないダンスなどというものがあるのならは、考え直したほうがいい、ということになる。)
 衣裳がとてもカラフルで愛らしかったこと、花沙と升田の表情が何ともかわいらしかったこと、そして何よりも、作品の中心となる動きのよって来たるところが明確で、作品の成り立ちがわかりやすいことが、20分の作品を高い求心力でコンパクトにまとめられた成功の原因だろう。
 最も目についたこの作品のモチーフは、親指と人差し指で作った輪っかである。一人が作った指の輪にもう一人が人差し指で、または同じく輪によって絡むことで、予想外に面白い動きの組合せが生まれる。相手の身体の、しかも身体の軸から離れることのできる一部分に絡むということで、前後左右上下にと、思いの他の動きが生まれる。しかも、それは喩として人と人とのつながりや結びつきを強く感じさせるから、動きに生まれる無理や不自然さや近づきが、そのままダイレクトに二人の関係の緊張や緊密性に見えてくる。その結果、見る者の中で、物語を簡単に作ることができた。
 升田が比較的無表情で、花沙がそれにまとわりつく小動物のような愛らしさを全開にしていたのは、役割分担としては的確だったといえるだろう。決してコミカルな動きでもないし、そういう振付でもないのだが、なぜか観ていて笑みがこぼれてしまうようだったのは、二人の動きがどこかしら訥々としたような空気を醸し出していたからに違いない。それは隅地の持ち味を2人がうまく汲み取っていたからでもあるし、そのような動きが実は非常に魅力的であることを感じ取っていたからこそのことだろう。
 誤解を恐れずに言えば、スピーディでスムーズでダイナミックで…といった、極度に洗練されたばかりのダンスは、ややもすると受け取る側にとって引っ掛かりがなく、ざらつきのようなものが感じられずに、退屈というのではないが、飽きてしまうことがある。それを回避した上で、踊っていることが人間同士の関係の波の表徴であるというダイナミズムを共有できるこの作品は、観る者が実は経験していないことも含めてある種の懐かしさをもって共感することができるものになっていたと言えるだろう。
 そしてこの作品は、子どもを含めて誰もがすぐに真似をすることができそうな親近感を持っている。ワークショップ向きでありながら作品としての完成度も高い。このような作品を通じて、ダンスの魅力が広がっていくといいのだが。

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