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講演『宝塚歌劇を楽しむ』I <朗らかに、清く、正しく、美しく>(2009年6月)


和泉シティプラザ市民カレッジ「趣味を楽しむ毎日を!」
『宝塚歌劇を楽しむ』I <朗らかに、清く、正しく、美しく>
2009年6月13日(土) 

 まず、何の説明もなく、短い映像を2つ続けて見ていただきましょう。朝海ひかるさんという人に注目してみてください。

 ◆朝海ひかる(元雪組トップ。2006、『堕天使の涙』で退団、女優として活動)、壮一帆、立樹遥を中心とした「パリに帰りて」。『ベルサイユのばら~フェルゼン編』(1990)のフィナーレから。

 ◆瀬奈じゅん、朝海ひかる、大空祐飛らの「Ojos Negros」(黒い瞳)。『パッション・ブルー』(1996)の「グラン・ブルー」から。朝海が女役として踊る。

 (共に、羽山紀代美振付家30周年記念ダンシング・リサイタル『ゴールデン・ステップス 1975~2005』から)


 初めに見ていただいたスリムでクールビューティな朝海ひかるさん、燕尾服姿のりりしい男性の姿で、シャープなダンスを披露していました。その朝海さんが、次の曲では、ドレス姿、ショートカットがセクシーな女性として、男性役の瀬奈じゅんさんの相手としてデュエットダンスを務めていました(タイトル写真)。

 男と女という性差がありますが、宝塚や歌舞伎では、そんなものは軽々と乗り越えてしまっているように見えます。もちろん、演じる本人たちには、血のにじむような苦労や修練があるのでしょうが、見かけはただただうっとりするほど美しい。

 しかし、現実には「男と女の間には 深くて暗い河がある」(「黒の舟唄」)わけでしょう。ちなみにこの歌をよく歌っていた野坂昭如さんの奥さん(藍葉子)、お嬢さん(花景美妃、愛耀子)は、皆、元タカラジェンヌでした。宝塚における男と女の問題にも、少し触れていきながら、その魅力をお話していきましょう。 

 この歌で暗い河とは、もちろん男女関係のうまくゆかないこと、不毛、はかなさを指しているわけですが、演じるということを考えてみると、歩き方、発声、日常的な一挙手一投足全てにおいて異なっていると見て、過言ではないと思います。

 ですから、女性が男になる、つまり異性を演じるということは、「こしらえる」という作業が必要となるといえます。その作業、努力があるからこそ、女が演じる男、あるいは歌舞伎で言えば男が演じる女の魅力というものが、妖しいまでの香気を放つのではないでしょうか。

 さて、宝塚歌劇とは、つづめて言えば、以下のようなものです。

 「世界でも数少ない、出演者が女性だけで構成された劇団・宝塚歌劇団。日本に初めてレビューを紹介したほか、90年以上の歴史の中でオリジナル作品をはじめ、劇画や文芸大作、またブロードウェイ・ミュージカルをはじめとする海外ミュージカルを上演するなど、常に新境地を切り開き、新しいチャレンジを続けてきました。女性が演じるからこそ、生みだされる華やかでファンタジックな世界。そして、豪華絢爛なステージと出演者たちの輝き、胸を打つミュージカルや心踊るレビューは、美しい夢を見ているようなひとときをあなたにお届けするでしょう。」(歌劇団制作「First Step ようこそ宝塚歌劇へ」より)

 まずは、確認です。皆さんご存知のように、宝塚歌劇は、女性だけ、未婚の女性だけが舞台に上がることができるという、世界でも非常に珍しい劇団、演劇集団です。

 もちろん、宝塚で上演される作品には、男性も女性も登場しますから、当然、女性が男性を演じるわけで、それは男役と呼ばれます。対して、女性を演じるほうを、娘役、と呼んでいます。時々、いささかとうの立った娘役を女役と呼んだり、先ほどの朝海さんのように男役が女性を演じるときに女役で登場と呼んだりします。

 さて、ある舞台の世界を作り出す上で、女性しか登場しないというのは、不利ではないでしょうか。男の役は男性が演じたほうが男らしく、リアルで、いいんじゃないか。そう思うのが普通でしょう。

 女性だけだということで、一番不利だなと思うのは、合唱、コーラスです。宝塚では男役はずいぶん低い声も出しますし、そのためにかなり無理ある発声もしているそうです。一方、娘役のほうも、そのままでいいというわけではなく、男役とのコントラストをはっきりさせるために、普段より高い声が必要となり、裏声での発声が中心となるので、どうしても声に強さが出ないことになりがちです。その両方の理由によって、どうしてもコーラスのボリューム、厚み、音域の幅が小さくなってしまう。それが、男女入り混じったミュージカルに比べて、物足りないと思われる一つの理由かと思います。しかしながら、宝塚はなかなかがんばっているよ、という例も一つごらんいただきましょう。

 ◆「明日へのエナジー」 宝塚90周年記念エンカレッジ・スペシャル・コンサート(2004.10.宝塚バウホール) 姿月あさと、樹里咲穂、和音美桜ほか


 なかなかのものだったとお思いになりませんでしたでしょうか。この舞台がレベルの高いものになったのには、いくつかの理由があります。姿月あさとは、宙組の初代トップだったのですが、2000年5月に退団していて、数年ぶりに宝塚に戻り、元の仲間に会い、舞台を共にするという、珍しい機会でした。しかも、「明日へのエナジー」は、1998年1月、宙組の第一回公演、姿月がトップに就任した公演のショー「シトラスの風」で歌われた曲でした。姿月は元々歌唱力に高い評価を与えられていたトップでしたが、ただそれだけにとどまらず、退団を届け出るにあたって歌劇団に対して、ダンスの得意な生徒は、舞台の端っこにいても目立つことができるが、「可能性を持ちながらも歌唱力を発揮するチャンスが限られがちな若手に勇気と自身を与える場を」と提案し、このエンカレッジ(勇気づける)・コンサートというシリーズが実現したという経緯があるそうです。そういった様々ないきさつもあって、この公演は非常に充実したものとなりました。


 この公演に現われているようながんばりもあって、宝塚歌劇は1914年以来、95年間続いていて、今も宝塚大劇場では毎日のように2000人以上の人が観劇しているわけです。

 いったいその魅力は何なのか。どういう魅力があって、女性だけという不思議なスタイルの劇団が100年近くも続けてこられたのか。そして、それを私たちはどんなふうに楽しむことができるのか。そういったことを、少しでも明らかにしていければと思います。

 今日のお話のタイトルにも使いましたが、宝塚歌劇団のモットーとして、「清く、正しく、美しく」という、創立者の小林一三の言葉がよく取り上げられます。

 宝塚音楽学校というのは、予科・本科二年制の、タカラジェンヌ養成機関。この卒業生しか、宝塚の舞台には立てません。中卒から高卒までが受験資格で、つまり4回受験可能です。倍率はだいたい20~30倍。廊下を直角に曲がるとか、綿棒を使って掃除をするとか、そういうことでも有名ですね。卒業生は約4200名、イコールタカラジェンヌの総数ということになります。

 小林一三(1873-1957。1927阪急電鉄社長、33年会長。40年商工大臣、45年国務大臣兼戦災復興院総裁の後、公職追放。後、東宝社長)については、話し始めるときりがありません。阪急電鉄の創業者で、すごい財界人・文化人で、逸翁美術館のコレクションを集めた人で、宝塚歌劇や東宝の土台を作り、それらをこよなく愛した人です。 

 平凡ではありますが、この「清く、正しく、美しく」に、宝塚の魅力の本質と、大げさな言い方ですが問題点を見ていきましょう。

 まず、この3つの形容詞を並列されてしまいますと、とてもストイックな、厳格でピューリタン的な、窮屈な感じを受けると思います。宝塚音楽学校の掃除や礼儀のしきたりの話などを聞きますと、なおのことです。

 この言葉は、1933年(昭和8)ごろから小林が使っていたものだそうですが、当初はこの前に「朗らかに」がついて、4つの言葉から成っていたのです。単なる語呂で3つに縮まったのか、あるいはもっと深い配慮があって意識的に削られたのかわかりませんが、ぼくはこの「朗らかに」があるほうが、ずっと宝塚歌劇らしくて、また実際のタカラジェンヌたちの姿を映し出しているようで、好きなのです。

 側面的な説明ですが、小林自身、後年(1946年、昭和21)、宝塚歌劇団の経営状況について、毎年数十万円の損失を計上しているとし、「今なお、京阪神急行電鉄の巨額の補助金がなければ歌劇団はやってゆけるものではない、もし営利的にやるようにその経営を変更するものとせば「清く、正しく、美しく」と言うような我々の理想はたちまち踏みにじられて、世間にありふれている劇団のていたらくに、五十歩百歩の境遇に沈みゆくものと私は信じている」(「歌劇」1946年6月号。『おもひつ記』2008、阪急コミュニケーションズ)とふれています。つまり、宝塚の演目は、エログロナンセンスや興味本位で煽情的なものに堕していくのではないのだ、という宣言であるわけです。 
 このようないわゆる「健全」な精神を保ちえていたからこそ、宝塚は「女子供の観るもの」と揶揄されながらも、阪神間の女性を中心とした客層を確実につかんできたわけですし、宝塚に入団させることが、芸能界入りとイコールではなく、花嫁学校に入学させるようなある種のステータス、容姿端麗で中流以上の資産を持ち、しつけが行き届き、従順で、男の気持ちや立場がよくわかり、男を立てる…といったいわゆるあるバイアスのかかった前時代的なと言っていいでしょうか、女性らしい美点を全て持ち合わせた女性になることであるように思われていたわけで、宝塚出身者、特に男役を嫁にもらうといいよ、というような評判になったりもしたのでした。

 しかしこれは、男性上位主義に基づき、良妻賢母というステレオタイプに女性を封じ込める、男性からの視点による評価のように見えます。そのことと、現代においてもなお宝塚が女性の支持をえていることは、矛盾しているようにも見えます。宝塚歌劇におけるジェンダーやフェミニズム的な考え方については、既に内外の多くの論考がありますが、一面的に作品の筋書きを見るだけでは、なかなか把握しづらい、多面的な問題が横たわっているように思えます。この宝塚という世界が、多くの女性に受け入れられているという享受論の立場からも考えることが必要ではないかと思います。

 さて、当の小林自身は、当時の通念からは逸脱した純愛を貫くような結婚をしています。評論家の川崎賢子さんは「経済的社会的な後ろ盾をもたない少女のうちにそのような力をみいだすこと、あるいは夫婦として五十余年過ごした妻のうちにもそのような力をみいだすことは、ありきたりの男には及びもつかぬ、一三の資質であり、才能であった。その才能は、小林一三に宝塚歌劇を創設させ、彼を宝塚歌劇の庇護者にして作家、よき批評家たらしめたものかもしれない。一三は後年、宝塚歌劇について「良妻賢母」の倫理を支持する文化であると主張するのだが、彼自身の母なるものの体験、女性の力への憧憬や畏怖は、修身の教科書が喧伝する国家主義と資本制の結託を補強する「良妻賢母」主義と言ったものと、ずいぶん異質なものだったことも、確認しておくべきだろう」(講談社選書メチエ『宝塚 消費社会のスペクタクル』、1999、p62)とし、ここで強調されている力とは、「わたしを妻にする旦那様は、必ず出世する」と確信して動じることなかった妻・丹沢こう(出会った当時数えで18歳、1900年に結婚)の「超越的な力、神秘的な力」のことだったと指摘しておられます。


 そういう小林だったからこそ、女性のもつオーラ、神秘性を信じ、それに賭けることができたのではないでしょうか。その「信じる力」が、宝塚を100年近く続けさせているのではないか、そして小林とそれに続く人たちがもつ「信じる力」を裏切ったり落胆させることなく、逆にますます強めてきた4200余名のタカラジェンヌたちの実力と情熱が、それを支えてきたのではないかと思います。

 タカラジェンヌたちは、宝塚を退団した後、もちろん家庭に入っている人もたくさんいます。みんながみんな幸せな結婚生活を送っているわけではないでしょうが、本来のスカーレット・オハラのように、自立して自らの道を切り開いている人もたくさんいるようです。芸能界入りした元スターも、順調には進んでいない人も多いかもしれません。しかし、多くの人が、何らかの自ら恃むものを持って歳月を重ねているように思います。一つは同期生をはじめとする友情に包まれた連帯によるものでしょう。

 一つのエピソードを紹介しましょう。戦後の厳しい時代のことです。昭和21年、草笛美子(1909~1977)という元タカラジェンヌが、草笛美子劇団という小さな劇団を率いて、ドサ回りのようなことをしていたそうです。知人からそれが「秋風のようにあわれ」だったと便りを受け取った小林は、こう述べています。

 私は草笛を悲観していない。草笛一座は宝塚出身者の劇団として、その盛り立てようによっては立派に育つ資格があるように思うけれど、いい相手といいマネージャーを選ばなければイケナイと思っている。…家庭の都合から好むと好まざるとにかかわらず舞台人として働く以上は、私たちが考えているように理想的行動を固執することは出来ないとしても、宝塚伝統の正しい生活を理解して世間から愛さるるのみならず尊敬せらるることをお願いする。…(「歌劇」1947年1月号「おもひつ記」から。『おもひつ記』、2008、阪急コミュニケーションズ)

 このようなOGへの信頼と希望があったからこそ、宝塚が愛され続け、OGも社会に受け入れられ、芸能界でそれなりに気に入られたり活躍できたりもし、またファンが一つの共同体意識を持って支え続けていく世界を創ることができたのではないでしょうか。

  一方、やはりどうしても「女の、女による、女のための演劇」である宝塚歌劇が、男役中心に回っていることは否定しようがありません。女性を主役にした作品がほとんどないのは、作品のバラエティという点からも残念なことです。作者たちに責任があるのかどうかわかりませんが、かなり強引にでも、男役が主役であるという原則は変えられません。これまで、娘役が主役であったことは、トップ娘役の退団を記念した小劇場での小規模な公演以外は、皆無であると言っていいでしょう。

 『エリザベート』(宝塚での初演は1996年、雪組)という、今や宝塚を代表する名作ミュージカルがありまして、今まさに宝塚大劇場で上演中です(2009年6月13日時点)。22日までですが、平日ならまだ若干チケットがあるかもしれません。是非ごらんになっていただきたい作品の一つです。

 このタイトルロールはもちろん皇后エリザベートですが、ウィーン版(1992年、アン・デア・ウィーン劇場で初演)ではエリザベートが主役なのに、宝塚版では黄泉の帝王トートを主役に書き変えて、男役を主役にする。しかも、これまたしばしば、エリザベートを男役に演じさせるというウルトラCを実現させてしまう。

 たとえば、『エリザベート』で有名な「私だけに」という、エリザベートが夫である皇帝や宮廷に頼らず、一人で生きていくことを決意する、非常に強い歌があります。ウィーン版のオリジナルでは、最後までエリザベートが一人で歌い上げるのですが、宝塚では途中でトートがせり上がりで現われて、エリザベートを見守るような形になる。

 また、第一幕の終盤、ミルクを求める市民のシーンにトートが現われるかどうか、ラストで皇帝フランツ=ヨーゼフ、エリザベート、トートの3人の場面で、最後の一声がエリザベートによるものかトートによるものか、そのあたりのところを、対比してみていただきましょう。

◆ウィーン版エリザベートと宝塚版との比較 ミルク~第一幕終わり


 トートは、実のところは死そのものであって、性別をも生命をさえ超越しているのですが、とにかく男役によって演じられ、その男役を徹底的に美しくかっこよく見せるために、すべてが機能している、というのが宝塚歌劇です。女が演じる男を、最大限にかっこよくりりしく見せるための装置なのです。もしかしたら、その世界の中では堅固な男尊女卑、男性至上主義がまかり通っているように見えても、実は観客のほとんどを占める女性たちは、現実にはありえない男性像に胸ときめかせることによって、現実の男性諸氏に対して強烈なしっぺ返しをしているのかもしれない。もしかしたらそんなふうなアイロニカルな二重構造によって、女性たちの強力な活力源になっているのではないでしょうか。

 宝塚の男役の「ありえなさ」については、たとえば『ベルサイユのばら』のオスカルのありえなさが、象徴的によく物語っているといえるのではないでしょうか。現実にはありえない理想を通り越した非現実的な男性像に対する憧れの視線が、宝塚大劇場ではほぼ一点に放射されています。

 もちろん、少しずつ変わって来てはいます。植田景子さん以後、作家(演出家と呼びます)に女性が増えてきました。オーケストラの指揮者にも女性がいます。娘役の組長・副組長が増えています。今後さらに、何かが地殻変動のように、宝塚歌劇団の中で変わるのかもしれません。

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