闇の力~「Weightless Days」他(2007年9月)

 舞台芸術は、まず闇と静寂から始まる。どのような世界でも、世界の始まり以前や終わり以後でさえ創ることができるように、劇場は完全な闇と静寂を用意する。
 その名もblack chamber(黒い部屋)という空間で行われた「Weightless Days」は、ダンスのヤザキタケシと松本芽紅見、グラフィックアートのアンジェラ・デタニコとラファエル・レイン(パリ在住ブラジル人)、サウンドアートのデニス・マクナルティ(アイルランド人)によるパフォーマンス(9月1日。NAMURA ART MEETINGの一プログラム)。フランスでの数ヶ月でのレジデンシャルワークによって実現した作品の日本初演である。
 完全な闇から世界の扉を開くのは、一台のプロジェクターから投射される光だ。しかし、この世界に投射されるのは光だけではなかった。ほとんどの場面は、ただ白と黒から成っていた。光だけが当てられていたのではなく、闇もプロジェクタから投射されていた。光が有であり闇が無なのではなく、「闇、あれかし」と言われて現出された豊かな闇が、そこにはあった。
 その世界でうごめく生物であるダンサーもまた、光と闇を等価に認識し、それぞれと戯れたり、近づいたり退いたり、境界線上でたたずんだりし、シリアスに、またユーモラスにと、様々な表情を見せた。はかなく洗練された音楽も含め、ここに凝縮された世界は、二者択一的な二元論を超えて、多様なものの共存を許容する豊かで柔らかなものだった。
 劇場の闇の力をほとんど暴力的なまでに提示した作品として、psyによる「たった数グラムの微細な蕩尽」もまた、記憶されなければならない(9月16・17日、アトリエ劇研)。演出・台本の齋藤学は、1時間を超える作品のほとんどを真っ暗闇の中進行させた。ある海岸に打ち寄せられた死体を調査するという指令が発せられたことは、男の語りで明らかだが、闇の中で男がどのような姿勢や表情でそれを語っているのかわからないというのは、大きな苦痛であった。物音、生で聞こえる役者(増田美佳、平岡秀幸)の声、スピーカーから聞こえる声に集中しようとはするのだが、闇そのものが大きな力で観る者の意識を浸食してくるようで、いつの間にかあらぬ思いに浮遊していたりしたのだった。闇の中に発せられた言葉もまた浮遊し、やがて世界は融解していったようだった。

(京都芸術センター「明倫art」2007年11月号)

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