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つまりは、よろこび。(2007年)

神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻第2回公演 12月5日、6日 兵庫県立芸術文化センター中ホール
金満里ソロ公演「ウリ・オモニ」「月下咆哮」11月23日~25日 ウイングフィールド

 ちょっと大げさな言い方だが、ダンス(むしろ、身体のありようとか呼ぶべきか)を観ることの原点を思い返させてくれるような作品に、時々出会うことがある。今回取り上げる2つの公演は、ソロと群舞という対照的な形を取りながら、共に身体がそこにあることのよろこびと厳粛さを痛感させてくれた。
 一つは、神戸女学院大学音楽学部に昨年新設された舞踊専攻の第2回公演である。プログラムは、3作品すべて、教授の島崎徹(正確には崎の旁、上は「立」)の構成・振付・演出によるもので、学生15~21名、作品によって男性のゲストダンサーが3名という大人数が出演した。
 最近、日本のモダンダンス、コンテンポラリーダンスで20名規模の群舞に接する機会がほとんどなくなった。ダンサー個々のオリジナリティが重視され、ソロやデュオの作品でコンセプトと身体の個性が自在に発揮されているのは喜ばしいことだが、一方で運動体としての集団の魅力にふれる機会が、稀にバレエ団の現代作品で取り上げられる以外、ほぼ皆無となっている。
その意味で、この学生が披露してくれたのは、群舞というものの数量的な迫力、群舞ならではの幾何学的な空間構成の美しさ、その中から屹立する個の可能性、といった大きな魅力であった。「RUN」「Here we are!」では、まずその力強さに圧倒され、真ん中に置かれた「Revez en decembre」からは、優美でユーモラスなたたずまいが立ちのぼり、ダンスを観ることのスリルや興奮や楽しさを、ダンサーたちと共有できたようで、それが何より幸福であった。
入学までの個々のキャリアは様々だったろうが、大きなところで動きの方向性がまとまっていたようだ。今後4年生まで揃い、人数が増えるだけではない充実が見られるだろうことが、楽しみでならない。
 その対極のように、身体を眼前に置くことの厳粛さを痛感させられるのが、劇団態変を主宰する金満里のステージである。「大野一雄 百一歳に捧ぐ」と副題されたソロ公演2本、「月下咆哮」と「ウリ・オモニ(私のお母さん)」は、ソロ作品としての私性、身体を舞台に置くことの特殊性を鮮やかに抉って見せる。3歳のときにポリオに罹った在日二世の金が、ぼくに対して何ごとかを表現するためには、その不自由な下肢を引きずってぼくを睨みつける必要がある。それは見る者と見られる者との、個と個ののっぴきならない関係を引き受けるということであり、その事実の意味そのままの重みであると同時に、それが喩として限りなく広い意味として放射していく。最後に監修・振付の大野慶人が、非常に精巧にできた大野一雄のパペットを遣って登場したことを含め、厳粛な多義性が、奇妙で絶妙な明るさの中で大団円を迎えるのが、金の世界観であり、これをまた共有することが、身体に向き合うことの厳粛なよろこびである。


ウイングフィールド15周年「時代を駆ける演劇人」
大野一雄 百一歳 に捧ぐ
2007年11月23日~25日
ウイングフィールド
「月下咆哮」と連続上演

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