宝塚歌劇団専科エンカレッジコンサート(2007年9月)

 待ちに待った専科エンカレッジコンサート、ようやく二回目が実現した。メンバーは七名と少なめで、各人がおよそ四曲ずつ歌うというたっぷりとした構成となった。中でも今回の話題は、月の退団を控えた立ともみである。出色だったのは「マイ・ラスト・ダンス」。一九六〇年のミルバのデビュー曲で、音楽学校時代リサイタルを聴きに行ったこと、但馬久美が退団の時に植田紳爾が作詞をしたものであること、自分も大切にしてきたダンスとは一生どんな形であれ関わっていきたいと思っている、この歌を現在の自分自身と重ね合わせて心を込めて歌いたい、というようなことを明るく淡々と語ってくれた。エンカレッジコンサートでも何度も取り上げられてきた名曲を、あえてここで彼女が取り上げるということについて、様々な方面への思いをこめて、行き届いたあたたかい語りだった。
 専科生によるこのコンサートの魅力の一つに、このような曲の間のお話の重み、面白みということがある。深緑夏代先生がよく歌ってらして、こんな歌が歌える年代になったら歌いたいと思っていたとか(萬あきら「ジプシーの恋歌」)、ジャズボーカルの水島早苗先生のレッスンに通っていて、当時のことだからLPレコードに「歌と共に生きるシビちゃんへ」とサインしてもらったおかげでこんな賞味期限ぎりぎりまで歌わせてもらっているだとか(矢代鴻「All of Me」)、歩んできた道のりの重みをさりげなくユーモアに包み込んで披露してくれる。専科生ならではの存在の重みと自在さである。
 その語りの魅力は、そのまま曲の中に生かされている。萬の「貴婦人」はチェーホフの戯曲を思わせるような品のあるドラマを張りと艶のある高音で聞かせてくれるものだったし、一樹千尋が『レ・ミゼラブル』から「Bring Him Home」を英詞で歌う前に日本語で語ってくれた部分や、『モーツァルト!』からの「星から降る金」のおとぎ話は、一つ一つの言葉が直接的に届いてくるようで、まさにモノローグ・ドラマと呼びうるレベルの高いものだった。前回に続いて矢代はまた「想い出のサントロペ」を歌ったが、なるほど確かにこの短くも恐ろしい小品を、これほどまでにスケールの大きな曲として聞かせるのは矢代の表現力の強さによるものだと納得させられた。
 また、間奏などでの短い振付のキレや、バックダンサーとしての存在感の大きさ(矢代曰く「濃さ」)も、目を見張るものだった。立の艶のあるヴィブラートが印象的だった「フラメンコ・ロック」のバックで踊る磯野千尋、一樹、萬の動きは何とも自在で、スケールの大きさが存分に出ていたし、磯野の熱唱「ジタン・デ・ジタン」のバックの萬のセクシーな腰の動きにはゾクゾクさせられた。萬といえば、「ジプシーの恋歌」での膝の揺らし方、「Little Boy Blue」の吐息のせつなさ、ターンのダイナミックさにもスケールの大きさが感じられ、まさに「キング」(『』での役名)をほうふつとさせた。
 驚いたのが、京三紗の選曲の妙と歌に込める思いの重さ、切実さ。第一部では中村中の「風になる」「友達の詩」を、第二部ではアンジェラ・アキの「サクラ色」を歌った。声量やテクニックがどうこうというのではなく、声が涙そのものであるような劇的な生々しさを帯びて、しかし静かに優しく歌いかけてくれた。特に「友達の詩」の「手をつなぐぐらいでいい」という歌詞を歌いながら、すっと手を伸ばして見せた時には、そこに存在していない、「友達」と呼ぶ他はない相手を希求する思いの強さと哀しさが形となって現れたようで、戦慄を覚えるような衝撃があった。ぼくは作者の中村のことは知らなかったのだが、京がやはり淡々と、「友達の詩」は中村の十五歳の時の作品であること、性同一性障害を公表した人であることを教えてくれた。宝塚では少々きわどい選曲かなと思わないでもなかったが、そんな邪念を吹き飛ばすような絶唱であった。第二部の「サクラ色」では、スキップでもしているかのようにさわやかに出てきて、うまいとか、かわいいとか、表現力とかいうような批評的な言葉が追いつかなくて馬鹿馬鹿しくなるほど、チャーミングで表情豊かな歌心をあふれさせた。こういう人を、公演の中でもっと上手に使ってほしいものだと、しみじみと思われた。
歳月でしか醸すことのできない重みや味わいというものがあるのだろう。轟悠のコンサートを取り上げた時にも述べたが、円熟の魅力を使いこなせる演出家、味わえる観客、その双方が必要であることは間違いない。客席の熱気と興奮から判断するに、観客のほうは準備万端だと思うのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?