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はじけた美しさ~サヨナラ千ほさち

 あれは何の時だったか、バウホールから降りる階段で花組のある若手の娘役と二言三言交わした時に、その隣にとんでもなく美しい生徒がいた。ああこれが噂の、と思ったが、それを確かめたり、隣に挨拶するのは彼女に酷だと思って黙っていた。それが千ほさちという娘役を見た、初めてのことであった。

 月組には妙に縁がなく、新人公演は見たことがない。バウホールでは、明智小五郎に材をとった「結末のかなた」の彼女は、すごくきれいな人形が坐って、腹話術師が声を出しているような様子だったと覚えている。きれいだけど、この声で使いものになるのだろうかと、心配した。続く「訪問者」では、ぼくは美原志帆ばかり見ていたので、あまりほさちの印象が残っていなくて、ごめんなさい。おきゃんで愛くるしいという、常套的なことしか覚えていない。あれだけの美貌をもちながら、ぼくの目を引かなかったという、そういうことなのだと思う。

 そして花組に移った。「失われた楽園」「サザンクロス・レビュー」がトップ娘役としてのお披露目となった。冒頭での口論、スター誕生のシーンなど、ほさちの性格や芸風とお披露目を意識した歓待だったと思う。ショーもしっとりした味わいとは無縁の、はじけるようなエネルギッシュなダンスが連続し、全体にひたすらに動き回っていたというような感じで、それもほさちには幸いした。これ以後彼女のダルマ姿が見れなくなったのは心残りだが、それはさておき、銀橋に立った彼女が口を開いてビートオンするとき、世界が開いたような眩暈を覚えた。スター誕生の一瞬だった。

 彼女ははじけていた。なかなかはじけられない娘役がゴロゴロしているのにイライラしていたぼくにとって彼女の出現は驚異だった。「ここに新しい娘役が誕生した」と思わせる瞬間をもちえたということは、まさに劇的なことだ。

 結論めいたことに飛躍するが、彼女は真矢みきに合っていた。二人の間で感情的にどうだったかは知らないが、「Ryoma!」も「ザッツ・レビュー」も「ブルー・スワン」も「SPEAKEASY」も、相手が千ほさちでなければ真矢はああはできなかったのではなかったか。「エデンの東」や「花は花なり」でも真矢は確かに真矢なりの「個性」を獲得しつつあったが、それを決定づけたのがほさちとのカップリングだったと思う。前のトップ娘役も大阪出身だったのだから、同郷だからというわけではないだろう。真矢が新しい<個性>的な男役像を模索する方向性と、ほさちのはじけ方がうまく作用したのだ。ただしそれが真矢にとって、ほさちにとって本当によかったかどうか。真矢が、こう言ってよければどんどんガラッパチに流れていくのを助けたのが、ほさちの破裂したような癇性にも近い持ち味だった。真矢が自らの<個性>として選び取ったあのような男役像を作品として定着させ、決定づけてしまったのが、石田昌也と千ほさちだった。そうして作り出された世界は、真矢にとっては満足できるものだったろう。彼女は、比較の問題だが真矢のトップとしての寿命を確実に何公演か延ばしたし、真矢の<個性>を正面から受け止めた上で、自分の魅力として取り込み、爆発的に輝くことができていた。その意味で「おそるべき」といっても大げさではない、すぐれた娘役だったといえるだろう。あるいは、毒婦の気さえ持っていたかもしれない。

 彼女の退団に至る経緯について、いろいろといわゆる噂のベースで聞いてはいるが、とにかく最後の作品となった「SPEAKEASY」が彼女のサヨナラに相応しい作品でない結果となってしまったのは、残念だ。宝塚における千ほさちの代表作は、どうしたって「ザッツ・レビュー」のお仙ちゃんということになる。彼女が「召しませ、花を……」と歌って姿を現すとき、その美しさに会場から声がもれたのを、ぼくは何度か聞いている。そのような圧倒的な美しさを宝塚で見ることができないというのは、あまりにも惜しい。あのような美しさを作ることができるのは、宝塚以外では、……皇室ぐらいしか考えられない。ほさちの高貴な「お姫様」役を、やはりちゃんとした形で見ておきたかった。

 もう一度ラストシーンを思い出して彼女に別れを告げよう。東宝劇場に別れを告げにきた泰平(真矢)。眼疾が悪化し、失明状態であるようだ。やはり劇場に別れを告げにきたお仙。「泰平さん」と声をのむ。さまざまなことに諦めている泰平に、お仙が「花のレビュー!」と涙を絞ってメロディも消えたがごとくに歌いかける。そしてもう一度二人で歩いていこうと、銀橋を渡り、ここでもうほさちの両眼は大粒の涙でいっぱいだ。

 思い出せば、ほさちは涙を流すときも爆発的だった。その涙が、宝塚大劇場に注がれることはなかった。1000days劇場という仮設劇場でサヨナラを告げるというのも、妙に千ほさちというトップ娘役にふさわしいような、不思議な気持ちがしている。

(1998年10月、「SPEAKEASY/スナイパー」東京公演千秋楽で退団)

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