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風呂と桶に関するいくつかの考察

Flowing, walking、通称『ふろおけ』っていいよねってお話。

はじめに(1/4)

さて『ふろおけ』こと『Flowing, walking』という楽曲ですが、歌詞に対する儚げな歌声が趣深さをより演出しています。
この曲は、ジョー・力一による作詞のもと、青年期の人間一般を構成している「孤独」の中核を切り開いて、こころの柔らかで温かな、けれど少しひんやりとした部分を直視させられるような曲です。

曲調について(2/4)

どこかに行きたいけれど、何処にも行き着きたくない、あるいは今のままでは何処へも行けないという後ろ暗さ、そんな不安定な心の機微を変に飾らずに、けれど少し夢みがちにふんわりとやわらかく語るその歌詞は、アイデンティティー拡散と戦う学生や、少しずつ自分を確立していっている青年期の聴き手の気持ちに寄り添います。

6人によって紡がれる流麗な言葉たちに耳が触れると、心の奥底にある自分で蓋をしてしまった過去、またそれに付随する感情が上昇気流に乗ったように、あるいは泡が水面に向かって浮かんで消えるように意識の上層にのぼってきます。
それは、いつのまにか強く結ばれて捩れて絡まっていた個人としての有り方を、それでもいいんだと、そのままでもいいんだ、と言われているようでとてもとても苦しい。

この苦しさは彼らから投げ掛けられる言葉が、真綿のようにふわりと、泣きたいほど優しく包んでくれるからであって、決して悪い意味の苦しさではありません。予定調和のハッピーエンドにそれでも泣いてしまうときの喉の苦しさとおなじ、やわらかな痛みです。

静かでシャボン玉のように色を次々と変えて、きぃんと冷えた夜の小道を歩くときの足元の心許なさ、日の照り始めた早朝のねぼけまなこの浮遊感、歌詞から産み出されるそんな世界観が本当に本当に心地よくて、こころのすみっこに置いておいて、寂しくなったときに引っ張り出してきたい楽曲です。

彼らがこの曲を歌う意味(3/4)

Vtuberデビュー、またはオーディションといった賭けに勝って夢をつかんだ彼ら6人に「かっこつけてもいい、はじめよう、どんなことでも」って言ってもらえることは、これまでたくさんの×という評価を自身につけてきた聴き手に、もう充分だよ、○をあげていいんだよ、と、そんな力強いメッセージに感じました。もちろんそれを言っている彼らの頑張っている姿は我々リスナーが一番よくわかっているからこそ伝えられるメッセージなのではないでしょうか。だからこそ彼らを見つめる私たちも、少し休んだらまた顔を上げて、歩みを止めずにいようと思うことが出来るのです。

最後に(4/4)

この場を借りて、この楽曲を産み出してくれてありがとう、と感謝を。そしてあなた方のこれからの活躍への祈りを添えて、締めくくらさせていただきます。

文責 シジマ あるいは、花かつを

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