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お金のあれこれ

(2021.6.11)

 おはようございます。sizukukoboです。

 毎年GWが明ける頃に梅を収穫するのが恒例行事になっている我が家です。小粒ですが今年も無事収穫ができて、美味しい梅シロップができました。職場の方にもお裾分けしているのですが、去年も飲んだことを覚えていてとても嬉しかったです。
 自分の好きなものをお裾分けして人に喜んでもらえることは幸せだと感じた瞬間でした。

 今日のテーマはお金のあれこれです。

 冒頭の続きになりますが、今年は豊作で梅がたくさん取れました。冷凍庫がいっぱいになっている話をしたら、「ぜひ分けて欲しい」と言ってくれる人がいたんです。毎年何気なく続けていた梅取りとシロップ作り。欲しい人がいるなんて思いもしませんでした。
 あらかじめ氷砂糖も梅の量に合わせて買っていたのでそれも渡すことにしました。

 その時に、お金の話になり、瞬時に「受け取れない」と申し出を断った私。普段多くのものをいただいているので、そのお返しです、と言って丁重にお金を受け取ることを辞退しました。そして夜になってふと、「あぁ、こういう時でも私は受け取り下手なんだなぁ」と思ったわけです。せっかくの申し出に「では氷砂糖の分だけ」となぜ気持ちよく言えないのかと。そして、こういうやりとりは、もう何十年もしていることに気づきました。

 お金を受け取ることに罪悪感がまだあるようです。
 自分では無自覚でしたが、そういえば昔からそうでした。学生の時から人に何かあげても「お金払うよ」という申し出に「じゃあ、この金額で」と受け取った記憶がほとんどありません。あらかじめ「代金支払うから余分に買ってきて」のような頼まれ案件を除いて、自分で買ってきたものを褒められて、「多めにあるからあげる」と私から人に渡す時、「お金払うよ」の申し出は大抵断っています。お金についてのブロックというのは結構根深いと知った次第です。

 そんな私ですが、逆の立場になると途端に強気になります。「これをタダで受け取るわけにはいかない」と、相手が受け取ってくれるまで引き下がりません。こうして行動を振り返ると差し出されたお金は、受け取った方が相手も気兼ねなく品物を受け取れるんだなぁ、とわかります。「申し訳ない」という気持ちから「ありがとう」と気持ちよく受け取る練習は、数をこなすしかありません。「ギフト」ではない物のやりとりは難しい。そう思う気持ちの克服から始めないと、と感じました。

 私と同じように感じている人は周りにもいて、そういう人と物をあげたりもらったりすると、おもしろいように物のラリーが続きます。お金にかわるお返しが延々と続いて、それもまた楽しいやりとりです。

 お歳暮やお中元、旅行へ行った時のお土産など、昔はマメにしていました。今は自分が負担になるやりとりはやめて、義務ではなく自発で「贈りたい」と思う時に、贈りたい相手に用意するようになりました。時間もお金も有限なので、自分が大切に思う人との繋がりを一番に大切にしようと決めました。

 大切に思っている人だからこそ、余計に「お金を受け取ってはいけない」という気持ちが働くのかもしれません。本当は逆なんですけどね。大切に思っている人だからこそ、受け取っていいし、それをまた循環させて渡せばいいんですけどね。行動はなかなか思うようにいきません。 
 
 梅を初めて人にあげる経験をして「来年はちゃんと時期がきたら肥料をあげよう」と決めました。よりいいものをお裾分けしたいです。その時もし、お金の話になったら気持ちよく受け取ろうと思います。
 お金のあれこれを考えていくと、色々なことがつながっていることを痛感する今日この頃です。