ローマ法王の休日を見て雑な感想
映画、ローマ法王の休日を見た。
とりとめもなく、雑に書いていく。
以下ネタバレだらけの感想になるので、タイトルからビビッと来て見たくなった人は回れ右してね。
私は宗教に一切の興味と知識が無く、めちゃくちゃ浅くて不快な感想も書くと思うので不快になりたくない人は回れ右してね。
あらすじ
Wikipediaから引用します。
感想
面白かったか面白くなかったかでいうと、終盤までは面白かったと言っていい。
一応この映画はコメディ映画に設定されており、終盤までは憎めないキャラクターたちがいろんなことをして、聖職者も人間なのだと思わせる。
しかしこの映画はそれが全てだったと思う。
カウンセラーがローマ法王の賭けの倍率を話していたが、主人公は聞くまでもなく圏外だったろうに、奇跡(謎の力とも言う)により選ばれてしまった主人公。
彼は就任挨拶を前に半ば発狂から精神を患い、法王の仕事に関する話を一切を脳が理解することを拒否するようになってしまった。
これには彼自身も悩み、それが故に自信を無くし、困惑しながらも、「自分に法王に選ばれる資格があるのか、法王で居て良いのか」と深く考えていた。
あるいは人為的であれローマ法王に選ばれたことにより、本当に神に祝福されたのかもしれません。
カウンセラー的に見れば精神を患ってるということになるのでしょう。
主人公は逃亡し、逃亡中にたくさんの彼の立場を一切知らないにも関わらず親切にしてくれる人や、好きだった演劇とも出会う。
普通の映画ならこういった逃走劇と出会いにより覚醒したりするのでしょうが、彼は変わりませんでした。
逃げて落ち着いた後、ヴァチカン報道官に連絡を取ったのは彼の性格を表しているでしょう。その後も報道官にもう一度だけ連絡をとり、「なかったことにしてはどうか。私は一切の存在を消すから専任をやりなおしては」という旨を提案します。
これは、逃走中に彼はコンクラーヴェの状況に関してニュースで知っており、自分の名前が出ておらずコンクラーヴェは実質まだ続いている事を把握していたからこその最大限の譲歩だったと思います。
しかし報道官はこれに返事をしませんでしたが、ヴァチカンに戻り枢機卿達と決を取り、最後には彼が唯一楽しみにしていた観劇中に彼らが乗り込んできてヴァチカンに戻されて、あらすじの通りおしまいです。
最後の悲壮感と言ったら半端じゃありません。
主人公(法王)・枢機卿・信徒の誰もが暗い顔をして閉幕しました。
見る前に見た★評価があんまり良くないなと思ってましたが、これが原因か~と思いました。
さて、この映画は登場する人物全員が人間でした。
それぞれの立場に居る人達は、自らの責任感や保身により行動しています。
聖職者を目指して枢機卿になった時点でローマ法王に選ばれる覚悟はしておくべきなのでしょうか。私にはわかりません。
階級的にはあまり正しい表現ではないでしょうが、会社組織で言えば、真面目に働いて部長クラスになってたところでいきなり社長(どっちかと言うと会長か?)に選ばれたようなもんでしょう。
会社で働く人間の誰しもが最終的にはここの社長になってやる、と思いながら働いているわけではないように、主人公も真面目に信徒をしていた結果上がった階級であって法王は目指しては居なかったでしょう。
それを周りの枢機卿達は「自分は未熟だからなりたくない」という思いの元、無名未熟の主人公を担ぎ上げてしまった。(談合したと明言はされておらず、本当に奇跡が起きたのかもしれない。出走馬にすら乗ってない人間が下馬評覆すなんてどんな奇跡だ)
主人公以外の枢機卿はローマ法王が無事(無事ではない)決まった後、穏やかな顔で祝福し、主人公が逃亡中にもヴァチカンを出れない間、カウンセラーの話すローマ法王の現在の状況を聞いたり(曰く彼は鬱であり聖書はうつ病の症状にまみれている)、カードゲームをしたり、バレーをやったりしました。
枢機卿の中の誰か一人でも主人公の悩みに真面目に向き合ったのでしょうか。
唯一真面目(と言っていいのか)に向き合っていたのはカウンセラーと報道官ぐらいのものでしょう。
待機中のレクで最初の方に枢機卿たちに聖書を用いたローマ法王の状況を説明する下りでは「ローマ法王の完全性を疑ってはならない」とでもいうかのように、「ローマ法王とは無関係です。」と否定するグレゴーリ枢機卿。
枢機卿は誰しもが他人事であり、ことは自然に解決するとでも思っていたのでしょう。中でも枢機卿主席のグレゴーリ枢機卿は一番不誠実だったと言って良いかもしれません。
彼も「自分が選ばれないように」と祈っていた人間ですが、選ばれた主人公が苦悩していたときにかけた言葉「神はこの使命を全うするために助けてくださいます。重責とは存じますが、耐える力をも与えてくださいます」という言葉はよくもまあ言えたものだというブーメランです。
他人には無責任に言える言葉ですね。
唯一一番危機感を持っていたのは、立場上、報道官でしょう。
報道官は枢機卿とは違った立場です。法王の気持ちに立って向き合うことは難しいでしょうが、彼は自分の立場と責任から、彼にできる最善をしていたように思います。
しかし、彼も枢機卿も最後には主人公の最大限の譲歩(私を居なかったことにしてやり直して)を無視、彼を強制的に連れ戻す策を打ってしまいました。
結局全ては自らの保身のために、主人公一人を犠牲にする道を選んだのです。
こう書くと、主人公も選ばれたのに責任を果たさず自分が嫌だという理由で保身に走っているではないかと思われるかもしれませんが、立場や実力が全く違うでしょう。
先程も書いたように、主人公は一部署の部長だった人間であり、自ら立候補して法王になったわけではありません。
それをいきなり、専務や常務を抜かして社長に仕立て上げたわけです。
自分にその実力はない、やめさせてくれというのは至極当然でしょう。
そういう訳で、「覚悟」した主人公は就任挨拶に望みます。
正直、先の展開が予想できるほどに誠実さを感じる人柄だったので、驚きが全くなかったです。
彼は神にも他人にも誠実であり、今自分の立場に望まれているものも理解していました。
しかし、自らの実力(性格とも言っていいかもしれません)を考えると「私も皆さんと同じ迷える内の一人であって、皆さんに必要な主導者は私ではない」という旨を言い切りました。
結局、市井に降りてたくさんの出会いと経験をしても、自らは未熟であり導く立場にないという結論を出したのでしょう。
最初の段階から、起こるべくして起きた結末と言っていいでしょう。
不誠実な人間なら「まだ名前が発表されていないのだから」と本格的に姿を消してしまえば良かったのです。しかし主人公はそれをしなかった。
何かが良くなるかもしれない、という考えもあったでしょうが、勝手に背負わされた責任を勝手には降ろさなかった。
しかし最後の責任として、自らの本当の立場を明言したのは誠実という他ないと思いました。
自らの保身の為に未熟な枢機卿を法王に仕立て上げてしまい、主人公が苦悩していても他人事の枢機卿達、未熟さを憂い法王に選ばれて逃げてしまい、心配してくれる人にも時には声を荒げてしまう主人公、テレビのインタビューで雰囲気で適当なことを言ってしまう聖職者(?)、自らの仕事の為に嘘をつき神輿を担いだ報道官、仕事のやり方で反りが合わなくて離婚してしまうカウンセラー、だいたい「愛情欠乏障害」にしてしまうカウンセラー。
みんな未熟な人間でした。