空手は男の子社会で抑止力になるか?


これは整理すると結構おもしろいかも、と思って考えてみることにしました。

提案

男の子社会に備えて空手を習わせよう

思惑

空手を習わせることで「こいつを怒らせたら怖いな」という恐怖を潜在的に相手与えることで舐めたマネを取られないような抑止力にしたい

考えられる結果

  • 見聞により見事抑止力としての機能を果たす

  • 逆に力を持って横暴を行う不良になる

  • 表面上は特に何もおきない。



抑止力として機能する

「○○は空手で県大会○位にまでなったらしい」などの見聞から抑止力になるケース。

とはいっても「アイツは空手をやってて実績もあるらしいぞ」と聞いたところで人が恐怖するかといえばそんなことはない。普段の人柄が横柄だったりしなければ「強いんだ。すげー」 で終わる話だし、怒らせないようにしようとかすら思わない。

その判断の基準は空手で実績を残してるかどうかではなく、怒ったときにすぐ手が出る人間かどうかというパーソナルな性格を見ているからだ。

すぐ手が出る人間かつ空手有段者なら怖いなと思うし、怒らせないようにしようとするだろう。ついでにいうと、すぐ手が出る人間を相手にするときは、相手が空手をやってなくても怒らせないようにする。その性格が抑止力になっている(怒り/不機嫌を態度に示して他人をコントロールしようとする典型)。


不良になる

簡単な話、武力を背景に相手がビビってくれるなら力をチラつかせて相手をいいようにするクズが生まれるのではないかという懸念である。

力をつけた若者はその万能感から間違いやすい。力を正しいところでしか振るわないというのは非常に自制心が必要になり、親の教育だけでどうにかなるかどうかすら怪しい。この懸念はあってしかるべきだとは思う。


表面上何も起こらない

私イチオシの説がこれだ。

空手をやっていたとしても恐らく男の子社会での抑止力にはなりにくい。

そういった情報が抑止力として働くには噂として回る必要がある。

友達でもない相手の「空手をやってる」情報を知るというのはそれなりの結果を収めないとそうはならない。
空手やってると聞いたとしても成績が耳に入ってこなければ「じゃあ大したことないのか」となる可能性もある。

「空手を習わせて抑止力にしよう」という思惑は「空手をやっていれば強いと思われるだろう」という思い込みが先行しており、情報が相手に伝わっているか、どう伝わるかどうかは考慮されていないのだ。

空手をやっているかどうかは体格だけではわからないし、顔を見てもわからない。直接聞くか、誰かに聞くぐらいしか無い。
なので、空手をただ習うだけでは現実的には抑止力になりにくいだろうと考えられる。

もっと簡単な話に置き換えると「顔が怖い人にたいして強くいかない」 というのと同じことをこの空手抑止力論は期待しているのだが、顔が怖い人に対して強くいかないのは、顔が怖いことで「強いだろう・怒ったら凶暴だろう」と推測し、それが抑止力になっている。

言うなれば顔が怖いことは「空手やってます」と書いて生きているのと同じ効果があるのだ。(それそれで実力に見合った強面でないと生きづらそうではある)

では空手を習わせることに意味はないのか?というとそんなことはない。

相手に空手の情報が伝わらなくても人が人を判断するのは体格・性格・言動が基本だ。空手等のフィジカルの習いごとをやっていればそれが下地になる。結果が残せてなかったとしても体は強くなるだろうし、何もしてない相手よりかは優位という自信がつくだろう。

たぶんこれが空手を習わせる現実的な最大のメリットではないだろうか。

抑止力になるのも、気が大きくなって横暴になるのも、実際にはある程度「成功」した時だけなことはわかったと思う。

なので、コミュニケーションの表面上はなにも起きないし相手も恐怖することなく気軽に接してくるが、自分だけは内に自信を秘めたまま生活を過ごすことができるようになる


まとめると、親がどういう思惑で子供を行動させようとも、子供の性格によって抑止力になったり・ならなかったり・不良になったりするので、子供にはほとんど影響がないと思う。

ただ単にその力を背景に相手を縛ろうとするその姿勢が気に入らないというのなら、それはまあ仕方がないかなとは思う。



現実 

「男の子社会」つまり、小中高における男同士のコミュニケーションは現実として暴力と隣り合わせです(下手をすれば就職先によってもこれは続く)。

男同士のイジメはもちろん、イジメでなく普段仲が良さそうに見えてもその中でも弱い立場の人間はカジュアルに殴られる。なにかに失敗したとか、ちょっと生意気なこと言ってたとか、そんな些細なことで暴力は振るわれているのが現実だ。

女性には考えられないか、あるいは見て見ぬふりをして記憶から消去しているかもしれないが、教室でひ弱そうな男の子が陽キャ(不良)にカジュアルに殴られているのを見たことはないだろうか。
別に学校内に限った話ではない。

街に出ても弱そうな奴が一人でいればカモられる。
「◯◯がどこどこでカツアゲにあったらしい」なんてのは比較的平和な学校で平和に過ごしていた自分ですら学生時代に2,3回は聞いた。

そういう現実が男の子社会にはある。
女の子は殴られることはなくとも別の危険があったりするのだろうが、ともかくとして男の子社会では有事の際に力を持っているというのは現実的に重要なことである。

これを抑止力として空手を習わせようか悩むのは、実際に抑止力になるかどうかは別として気持ちはわかるし、意味はあることだと思う。

男の子社会では突出した力に対してリスペクトを払われやすい。

空手でもそうだがサッカーうまい、野球うまい、足が速い、持久走意外と根性あるとかなんでもそう。
そうしてリスペクトを仲間内から受けた子供はちゃんと自信をつけて性格や言動ににじみ出る。

たぶん、それこそが自然な対人関係を築く上での自然な抑止力になっている。(それが正しいというわけではない)

結論

抑止力を作るための自信を作り出す一つの手段として有用。

直接的に相手に懸念を与える抑止力ではなくとも、体と心は強くなる。
たぶん習い事に失敗しない限り。
その下地が自分の自信に繋がって、自然な対人コミュニケーションができるようになる。

※そもそも相手に暴力を匂わせるような人間は空手を習っていなくても性格上そういう人間に育ってしまったので空手が関係ない。

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