日記 なにそれって笑った
健康食を啜って「うすっ」なんて簡素な反応。
それを眺めながら同じ物を同じ時間に食べる特権を行使している。
今後私に何が起こっても、彼に何があっても、身が滅んだ昨日以降だって、この瞬間だけは本当にあったのだと、私は熱気のままに他人に話す。
彼は昨日からここに住んでいる。
私に話しかけ、私に笑い、私の声に喜び、私と物事を共有し、私に反応する。
「死んだ心地がしない」
生前あんなに自由そうだったのに、今は不自由から解き放たれたといわんばかり。透き通り晴れ晴れとしている。
死人が、ご飯を食べるはずないですからね。
私の家の箸は何も特別製でなく、生活雑貨屋で二桁で買った。役割のみを果たしてくれる。死人が持てるのは昨日初めて発覚した。お腹が空くからと二人分作らされた鯛のアラで野菜を煮ただけの物は、結局死にたてほやほやな方が八割消してしまった。昨日から何も食べてなかったそうな。
「生きている心地しかない」
どっちだかはっきりしろ。どう扱ってほしいんだ。問い詰めたら、なあなあにしてくれると助かるな〜、と魂より軽い様子。
不満極まりない。昨日、私が想像を絶するほどの大いなる悲しみの海に溺れ、危うく戻れそうになかった情報はうまく伝達されていないに違いない。不燃焼のそれはこんこんと私に溜まりつつあるというに。
「明日は俺が作るわ。腕によりをかけて」
思い直す。人に話せば狂気を疑われるのは必須だろう。何がどうしてどんな感情で、昨日亡くした人間の今日の話をしなければならないのか。唯一私だけが信じられる。私だけが。
葬式に着ていく服で悩んだ。当人に相談したら、ドンキへ買いに行こうと引っ張られた。ばか。
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