見出し画像

episode19 対象に入り込んで見てみる

「ヌーソロジーが面白い」というマガジンでは、ヌーソロジーという思想体系を創り上げた半田広宣さんの「2013:人類が神を見る日」と「2013:シリウス革命」という2冊の本を読み解きながら、私たちの意識(魂)の出自や私たちがこの世界に存在している理由を紐解いています。

また、記事の中で出てくる「Ψ」の記号は「プサイ」と呼びます。


前回の記事では、次元観察子ψ3の見方を獲得すると、私たちの今の意識よりも高次の視点で物事を理解できるようになるということを書きました。

どういうことかというと、観察者の視点とは目に見えている世界を「ありのままに見る視点」であり、「自我」を忘れて目の前の対象に入り込んで見るという視点のことです。

では、この「自我を忘れて見る」とはどういうことかというと、夢中になって目の前のものを見ている状態であり、気持ちがその対象の中に入っている状態のことです。

このことを、前回の記事では、幼い子供が夢中になって蟻の往来を見ているといったたとえをしましたが、別な例をあげるなら、映画を夢中になって見ている状態といってもいいでしょう。

こういった感じで、対象に入り込んで対象とひとつになっている状態を、観察者の視点といっていいでしょう。

そして対象とひとつになって見ている状態を図に表すと、下の図のような対象の向こう側に視線のベクトルがある状態です。

その一方で、私たちは普段は、下の図のΨ4の意識を使って生きていて、Ψ3の視点よりも子のψ4の意識に慣れていたりします。

このΨ4の意識は、対象の前に自分がいるという意識であり、「自我」を感じている意識です。

ではなぜ、Ψ4が「自我」を感じている意識かというと、私たちは「見られる」ことで「自分」を感じているからです。人は幼いころより「見られる」ことで「自分」が存在していると認識できるようになっていて、「見られる」ことで自我を形成していきます。

人は誰かから見られていると「自分」を感じるものであり、誰かの視点が自分に向いていないと「自分」を感じないものです。そして誰かから見られていると思うと、その思いによって行動を変えてしまったりするものです。

つまり、誰かから見られているという視点があると自分の行動に何かしらの制約を加えてしまうものです。

私たちは幼い頃からずっと集団の中で生活をしているため、Ψ4の「見られている」という意識を普段から使って生きていたりします。

そして、この「見られている」という意識が強ければ強いほど受動的にな態度を作ってしまうものであり、「見られている」という思いが私たちの行動のあり方を決めてしまっていたりします。

また、今の社会は選ばれることで自分の進路が決まるというシステムになっているため、「見られている」という意識が無意識の内に強く埋め込まれていて、この「見られている」という意識によって、主体は相手側にあるという意識を生んでしまったりします。

もちろん、こういった「見られている」という意識も大切な意識ですが、主体が自分にはないという状態は、ある種の苦しさを生むものです。

しかし、Ψ3の状態、つまり自我を忘れて対象に入り込んで、その対象とひとつになるという意識で生きられるとなると、主体が自分にも対象の側にもあるというような感覚を得られるようになっていくことでしょう。

この自我を忘れて対象に入り込んだ例をあげるなら、恋人同士が抱き合っているような状態であり、ひとつになった感覚を得ることができたりします。

こういった自我が消え対象とひとつになったような感覚で生きられるようになると世界が違って見えてくるようになります。

なぜかというと、観測者としての身体の位置は対象の手前に存在しますが、対象に入り込むと意識の位置は対象の中に移っていくものだからです。

こういったことから、Ψ3の次元観察子のベクトルの始点は対象の向こう側から始まることになります。

そこで、Ψ3のベクトルを半径とした球空間を作ることができると、Ψ1とΨ2を等化した点球次元よりひとつ上位の球空間を作ることができるようになっていきます。

このΨ3の球空間が、以前お伝えしたΨ1より上位の球空間であり、こういった空間認識を感じられるようになると人の心の認識に変化が起こってくるようになるようになるものです。

これが空間認識に置ける意識の形であり、次の次元観察子ψ5やΨ7の空間認識を理解できるようになると、下の図のようにとらえられる認識の幅を広げていけるようになっていきます。

こういった感じで、次元観察子の奇数側の認識を得られるようになっていくごとに、空間認識の理解を大きくしていけるようになり、私たちの心のあり方もその認識とともに変化していくようになります。

いずれにせよ、現在の私たちは自我を感じながら対象から「見られている」というΨ4の認識と、自我を忘れて「対象に入り込んで見る」というΨ3の視点を持っていて、これまでは主にΨ4の見られるという受動的立場を採用して生きてきました。

しかし、これからは、目の前の物事と対峙するのではなく、Ψ3の観察者の視点で対象と同じ視点に立って見ることができるようになっていくと、私たちの意識に変化が起こってくることになるでしょう。



いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓