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今も森の中で雪は白く

2020年、2月22日、8:10に知床財団の友人にホテル前でピックアップしてもらい、遊歩道の前で降ろしてもらう。

駐車場が整備されていて、連山が見渡せる。冬の遊歩道を歩くのは久しぶりで、スノーシューをレンタルして森の中を進む。

案内役として土地に明るい人、何かの専門家がいるのといないのとでは、空間に対する理解の深さも広さも変わってくる。
フレペの滝遊歩道を構成する森林は、開拓期に農地として利用されていた二次林と、原生林とがはっきりとした線で分けられている。これは、土地利用のために地図の上に直線が引かれたためで、人の意思ではっきりとした線が引かれたのだった。天に続く道、と最近名付けられた斜里の直線道路でも分かりやすい。

森の中にどのような直線が引かれ、どこまでが二次林で、どこからが原生林か、不勉強な自分は意識せずに歩いた。樹木の径が変わったと思った瞬間や、樹種が明らかに変わったように思える瞬間に、その境界線はあって、案内役を務めてくれた友人が、その話を丁寧に教えてくれる。
世界自然遺産とはすなわち手付かずの森、という訳ではなく、人がこの森を一千年先にも広がっていることを祈って、積極的に介入しない意思を表明した自然空間が知床なのだと思う。利用と保全の間で常に人は揺れて、誰も、不必要に森を切り崩したくはないし、海を汚したくない、動物を殺したくないのだ。その立ち位置と語る言葉が違うだけなのだ。

世界自然遺産登録以前よりこの土地で漁業や農業を生業としていた人たちがこの土地にはいて、そのハレーションをどのように緩和するのか、野生生物と人がどのように同じ土地で生きていくのか、ということに知床財団はその行動を明け渡してきた。彼らの活動や理念を尊敬している。

知床という空間は、意味空間としてもまだまだ深度を持っていて、冬の雪原を歩いて、どこかでヒグマが眠っていて、シマフクロウは枝に止まっているのだろうと、鯨が流氷の近くを泳いでいるのだろうと、そんなことを考えていた。

知床連山がはっきりと見渡せて、良かった。



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