還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ
まえがき
「旅」は若者にも様々な人生経験を積んできた者の心にも、必要に応じて語りかけてくれる。
時には厳しい言葉であったり優しい言葉であったりだが、私の経験ではひとり旅の方がより多くの声を聴くことが出来るようだ。
私は57歳の時に30年以上務めた会社を早期退職、月日が経つのは早いもので起業してから今年で7年だ。
起業を決意したのは勿論やりたいことがあったからだが、50代半ばに宿泊を伴う前立腺がんの検査を2度にわたって受けたことも背中を押してくれた。
病院のベッドで天井を見ながら考えていると誰でもマイナス思考に陥りやすいものだ。
もし、がんと診断されたら闘病が生活の中心となってしまい、やり遂げたいと思っていることも出来なくなってしまったらという不安に苛まれていた。
幸いにしてがんではなかったが「私の生き方は、本当にこれで良かったのだろうか?」「もっと違う人生があったのではないだろうか?」「これからどのように生きていけばいいのか?」と何度も自問自答する中で、気力体力が充実している今こそgoodタイミングだと感じて起業したのだった。
当時の事を思い出せば、辛い事も悔しい事も沢山あった、不安で眠れない夜もあった。
我々夫婦にとって子育ては最終段階だったが、まだしばらくは教育費も捻出しなければならない時期だった。
それでも多くの人達に応援をしてもらいサラリーマン時代と同じレベルの暮らしを維持することが出来たから家族に経済的な不安を感じさせることはなかったと感じている。
そして、サラリーマン時代には禁止されていたから叶わなかった私の夢の一つであるビジネス書の出版も商業出版という形で実現できた。
拙著の出版日に長女が書店で購入してきて、サインを求められたときは笑うしかなかったが、連れ合いが有名書店に平積みされている私の本の写真を撮ってFacebookにポストしてくれ一緒に喜んでくれている姿を見て、目頭が熱くなった。その時が本当に起業して良かったと思えた瞬間だった。
そして、還暦を過ぎ子供たちが巣立ったことで、人生の余白を意識するようになった時に、先述の3つの疑問が再度頭をもたげてきた。
今ではミッドライフ・クライシスというらしいが、その答えを見つけたくて、ひとり旅に出ることにした。
それで「どこに行こうか?」「そこで何をしようか?」と思い悩んだ挙句、あろうことか英会話も出来ないのに語学留学をすることを思いついてしまった。
私は常日頃から様々な選択肢がある場合は、仲間から「なんでそんなあほなことをしたのと?」いうお褒めの言葉をいただけるようなものを選ぶことに決めていた。
実のところ英会話の勉強は東京オリンピックでのシティキャストに採用されてから少しずつ始めていたが、私の役割は埼玉県内にある霞が関カントリー倶楽部の近くの駅で、来場者に英語で道案内する程度なので留学が必要なほど高い英会話能力が必要とは考えていなかった。
しかし、還暦を過ぎたおやじが1ヶ月間スクールの寮に宿泊して、英語を学んだら大変なこともあるだろうが、楽しみもあるはずだと思い、起業して7年間頑張ってきた自分へのご褒美として語学留学を決意したのだった。
ビジネスパートナーにマニラへの語学留学の事を話したら、餞別にコンドウなにがしを1か月分用意するからという有難い申し出をいただいた。
彼は海外旅行するときは宿泊日数分×3のコンドウさんを持参するとのことだった。
その絶倫氏について、彼の部下の課長の話だと、その道については社内で右に出る者がいないらいし。東南アジアにとどまらずに世界を股にかけて、研究を怠らないらしく、ニックネームは歩く生殖器と呼ばれているそうだ。
噂によると、絶倫氏が役員になれたのもその研究の成果によるところが大きいらしい。
思い出してみると彼は以前私にも「男を磨く旅に行きませんか?」と声を掛けてくれたことがあった。当時は何のことか分からなかったが、今ならどういう旅なのか見当がつくし、性欲に対して淡白な方の私としてはご一緒しなくてよかったと思っている。
私はマニラでは本気で英会話の勉強する旨を伝えて丁寧にお断りしたが、そのように誤解されてしまう事は不徳のいたすところである。
英会話の授業がない日は、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンやスターバックスなどにも行って一人で注文をしたいと考えている。
ジーパンやウクレレも買うつもりだし、スマホの画面が割れているので修理もしたい。
そして、一人でジープニーに乗ってクバオのウクレレカフェで弾き語りをしたい。
フィリピン人のウクレレ仲間とウクレレの練習が出来たら最高だろうななんて妄想している。
スクールでの第一関門は、英語での自己紹介だ。
マニラの校長先生と留学を申し込む半年前に、オンラインで話したときに自己紹介は皆さんペーパーを見ない話されますよ。
私が何人ぐらいの人が生徒の自己紹介を聞くのかと尋ねたら、校長は毎回30人ぐらいですと気楽に答えてくれた。
その話を聞いてからSkype英会話でのフィリピン人の先生とのレッスンにもよりいっそうまじめに取り組むようになった。
マニラでのスタディブロードの1か月間は、そこに集まってくる人たちと触れ合い、そこで暮らす人たちの生活を知り、その土地の匂いを感じ、その土地の人とのふれあう事によって、先述の答えと共に今まで知らなかった自分と出逢いたい。
そして、私と連れ合いとのこの先の人生の事も見つめなおす機会にしたいと考えている。