【ネタバレ】エルサを呼んでいたのは結局何だったのか?【アナと雪の女王2】

※物語の核心に触れるネタバレレビューです。作品を視聴されてから読むことをお勧めします。

アナと雪の女王2、前作以上の出来ではあったものの、微妙にスッキリしない点が残った。
それは、アートハランからエルサを呼んでいたのは結局何だったのか?という点。エルサとアナの母親イドゥナの声であることは間違いないのだが、イドゥナは海難事故で死んでいる。じゃあ死後の残留思念と解釈すれば良いのか?それとも霊魂?
この点が、作中では明確に語られてはいなかった(と思う)。ネット上のネタバレレビューもいくつか読んだがどれも腑に落ちない。

そんな中で一つ「これは…」と思うレビューがあった。

アナ雪2の個人的解釈について https://fusetter.com/tw/Igzi9#all

以下当該レビューから引用。

エルサがアートハランに着いた時に歌う「みせて、あなたを」でなぜか懐かしい、まるで我が家よとエルサは言っていてそれはエルサがかつてここに住んでいたからではと考えられる。荒れ果てた宮殿はまるでエルサがノースマウンテンに作ったお城のような作りで主を失った城が年月を経てゆっくりと崩壊していったような状態だった。
そして声の主を求めて入っていったお城の奥で「みつけた!」とお母様の声の記憶にたどり着く。あれは第五の精霊が2つの国の争いの前に倒れたアグナルを助けたいとイドゥナが精霊に助けを求める歌声にたどり着いた瞬間と今のエルサの記憶が重なる瞬間だったのではないかと思う。
(エルサの正体は)第五の精霊が助けを求めたイドゥナの体を介して人の子の形として現れた姿なのかなと思った。
精霊はノーサルドラの一族に力を貸すことしか出来ない。記憶を司る第五の精霊が真実を伝えるには人の姿を取らなければならなかった。けれど人の姿になるにあたって精霊としての記憶をなくしてしまった。

つまりエルサは作中で第五の精霊になったわけではなく、元々アートハランに住む第五の精霊で、アグナルとイドゥナの子として生まれ変わってエルサになった。エルサを呼んでいた声は、イドゥナが精霊に助けを求める声を第五の精霊として聞いていた、自身の記憶であったということ。

これは非常に腑に落ちる解釈だと思った。そして、この解釈が符合するかを検証するためだけにもう一度鑑賞しに行った(笑)

結論から言うと、間違いないと思う。

①サラマンダーがエルサに唐突になつくシーン
最初見たときは、若干の違和感を感じながらまあいいやとスルーしたシーン。エルサは手を差し伸べて微笑んでいるだけなので「フーッ」と威嚇しているサラマンダーが唐突になつく様子は少し変なのだ。だが、エルサが「旧友」と気づいた故と解釈すると、とても自然に見える。(次に見るときにサラマンダーの表情や挙動に注目してみて欲しい。)

②多分アグナルは一度死んでる
これは私の勝手な解釈も多分に入るが、アグナルが風に飛ばされるシーン、結構な勢いで後頭部を岩にぶつけている。元々、気絶しているだけなら助けられることの意味もあまりなかったと考えると、あのとき彼は恐らく命を落とした。エルサ(第五の精霊)は、必死に助けを求めるイドゥナを見てアグナルに命をあげたのではないだろうか。アグナルに乗りうつり、やがて2人の子として生まれる。(しかしその過程で精霊の記憶を失った。)

③アートハランのドームに映し出された記憶
アートハランでエルサは風・火・水・大地の4つの紋章の中央に立ち、それによってドームいっぱいに記憶が様々な映し出される。これを「水の記憶」と解釈しているレビューもあったが、これはやはりoboro10氏のレビューにある通り第五の精霊としての記憶と今のエルサの記憶が重なり映し出されている、と考えるのが正しいように思う。イドゥナの幼少時の姿や、助けを求めて詠うイドゥナの姿は、第五の精霊の視点から眺めた映像と解釈した方がしっくり来ないだろうか。

これらの解釈が本当に正しいかはわからない。仮に正しいとしても、あるいは他の解釈があるとしても、一回見ただけで読み解くことは非常に難しい。前作にはなかった難解さだが、これが今作に奥行きを与えているのは間違いないと思う。

<余談>
こうして読み解いていくと、あの結末が「エルサの自己実現である」とするこのレビューはやはり少々無理があると思った。

『アナ雪2』エルサの「スピリチュアルな自己実現」の奇妙さを考える
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69197

エルサが第五の精霊としての自分を取り戻したことを、いわゆるスピリチュアル的な文脈でいうところの自己実現と結び付けることは無理筋だろう。

また、作中で第五の精霊は「自然の魔法と人間をつなぐ架け橋」ということが何度も語られている。(ちょっとうろ覚えだが)ラストに近いシーンでアナと2人で架け橋になるんだということもエルサの口から語られていたと思う。
つまり、自己実現とかではなく、自然と人間、ノーサルドラとアレンデールが共存するための役割を2人で果たしていくという趣旨なのだと思う。アグナルとイドゥナの幼少時の銅像もそれを象徴するものとして作られた、と解釈するのが自然ではないか。

以上

<追記>

”I am found問題”というのがあるらしい。"I am found"はアートハランのドームでエルサが母の姿を見上げながら叫ぶ言葉。

・日本語版も日本語字幕も「見つけた」と訳されているが、英語本来の意味に従えば「見つかった」「見つけてもらえた」と訳すのが正しいのに変ではないか?

・というかそもそもなぜ原語は"I found"ではなく"I am found"なのだろうか?

・エルサは一体誰に見つけてもらえたというのだろうか?

…という議論があるようなのだ。

これも、「エルサは人間に生まれ変わった第五の精霊」説に立つと違和感なく解釈できると思う。即ち、「(第五の精霊だった過去の)私が見つかった」ということ。

その後の"You are the one you've been waiting for"という一節にも意味的にうまく繋がる。多少意訳になるが「(第五の精霊だった過去の)あなたは(今の)あなたに見つけれられるのを待っていたの」と訳しても差し支えあるまい。

(追記終わり)

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