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はじめまして、哀しみ

哀、という字が黒板に書かれた教室の空気を覚えている。旧約聖書から名付けられた名前を持つ、古文専門の中学国語教師は、そのことについてずっと語っていた。生徒に語っているというより独白のようだった。いちばん好きな言葉だと言いながら時折り静止して宙を見つめている彼は、いつもの教師という肩書ではなくて、その人らしさを放っているように見えた。

哀、には、たくさんの意味がある。

しみじみとした情緒
深い感動
愛情、好意、同情
さびしさ、悲しさ、悲哀

その、人間のさざなみのように揺れ動く感情をひっくるめたような言葉が、私の生活の中のベースになるとは、その時は思いもしなかった。今の私の心は行ったり来たりし続けていて、螺旋のように感情は揺らぎ続けている。そうか、これは『哀』に近いものなのかもしれない、とふと思って、それから、中学生時代のあの日を思い出していた。

人間は不思議なもので、よくわからないものに名前を付けた瞬間に安心する。
乳幼児突然死症候群、グリーフ、悲嘆という息苦しくなる言葉でさえ、私には光のひとつだった。言葉がある、ということは、もうそれを知る先人がいるということ。原因不明、と書かれた紙切れさえ、それは誰のせいでもない、とやさしく伝えているように感じる。けれど、きっと、どんな原因であっても、我が子を失う事ほど大きな哀しみはないのだと思う。それがどんな原因であっても、哀しみはとてつもなく大きい。いちばん薄いところを突いて出てくる感情の、最初のはけ口が変わるだけだと思う。

生後7ヶ月になる前の娘がパッと蝋燭の火が消えるように突然亡くなってから、たくさんの感情を目の当たりにしている。悲しみに溺れながら、多くの人を見つづけている。その人がどんな世界観を持つ人であるのかがよく見える。傷つくことは多いけれど、きっと、私の世界が変わりすぎたのだ。私には残酷に聞こえる凶器のような言葉たち。そんな中、私もこうありたい、と思える方がひとりでもいたことが嬉しかった。人間も良いものだなと、そんな時に思う。

こうやって、自分の体験を言葉にしてそっと触れてみる。引越すまではカウンセリングに通っていたけれど、こちらではまだ病院に出向いていない。代わりに植物と土に向かい合うことにした。雪の前に球根をたくさん埋めた。芽吹きと共にやってくる、未来を待ち望んでいる。待ち望むことしか、今の私にはすることがない。
泣かない夜はないし、眠りも3時間続けば良いものだ。生きている限り、これは続くかもしれない。些細な瞬間に、ふわりと香りに包まれるように戻る記憶と感覚は地上に溢れている。その記憶がふわりと、おまりはかわいいね、出会ってくれてありがとう、という穏やかさへ連れ出してくれることを願いながら過ごしている。

こうして言葉に残す事で、誰かの光になれると嬉しいな。

#乳幼児突然死症候群
#sids
#グリーフ

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