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「秋の日記」日比谷図書文化館

2024.9.--

私は人と会話ができないなぁとか、コミュニケーションって難しいなって思っている今日この頃。ほんとうにどうしようもなくって、人と会うのも嫌になってきてるし、相手に対して嫌だなって思うことすらも嫌になってきているというか。そんなメランコリックな秋。

で、ひとり大脱走して日比谷。

こんな感じで、写真と、本と、
架空の原稿が置かれている。
長々机にスツールがあって、座って読むも良し。

ぼんやりとしたいろんなランプが机に等間隔に置かれている。柱や壁にも写真が貼られていて、でも、どれも、額縁に入ってるわけじゃなくってぺらっとしている。額装するってのが、たぶん大文字の歴史的なものになっちゃうだろうから、もっと軽い、紙一枚なんだろうな。湯沢の大学生のインタビューで、あの写真この写真がすきってやってた写真の紙と同じかな。

その湯沢の大学生が言ってた、「秋田は暗い」って、本当にそう。私は秋田市出身だけど、雪の日のあの暗さというか、あれで育ったからか、スカッと抜ける光の強さよりもじんわりした明かりのほうが親しみがある。じっとりした重さとか。高野さんも新潟出身なんだってね。雪が写っているのもあるけど、決して雪がメインの写真ではなくって、でも、雪のような(しかも日本海側の湿り気のあるボタ雪のような)気配が感じられるのがとても好きだなって思った。

丁寧な暮らし、っていう単純な言葉に集約したくはないなって思うけど、その土地に生きて、そこで暮らしている、それをその土地へ赴いた人間がさらりと記録していくっていうのが、自然と写真に没入させるのに良い仕組みだった。最初に林芙美子邸の映像があったり、私もこの林邸は行ったことがあってかなりお気に入りなんだが、林芙美子が私よりも10センチくらい身長が低くて、その目線が建築にも所々に出てきているんだ。で、今回の写真もなんとなく、少し低めの目線から撮られているような気がした。あとは、生活雑貨とかも含めて、身の回りの台所仕事みたいな日常の一部が匂い立つような場面。林芙美子は自分で台所に立ってお料理してたそうだし、お得意だったそうな。そんな林芙美子から、S=白井晟一への語りかけなどもあり。林芙美子の目線から、あるいはそれは日々を生きる人間の目線で、「白井晟一建築」ではない、「ある建物」として好もしく見えているのがとっても好きだなと思った。それが、インタビュー動画からもにじみ出ていて、じんわりとあたたかくなるような心地だった。

長机の、橋のリベットみたいな留め方をしていたり、ロングスパン飛ばすにあたって(構造として効いてるかはよくわかんないけど)ロープが下に張られていたり、中央には赤い木が入っていてキーストーンというか、本来はアーチの頂上を支える要石ではあるけども、なんとなく装飾的にもなってるアレで、橋っていう土木構造物に似せて無骨に耐えるような風合いを保ちながら木製の手仕事感やわらかさなんかも持ってて、今回の展示にピッタリの机だなと思った。滋賀の家展でも膝丈くらいの展示台だったり、清洲寮での展示でもこのくらいの高さの段が設けられてたりって、この高さって、建築家好きなのかな……

林芙美子と白井晟一の距離感も好き。こんな具合の友人が良いな。

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