夢のなかで考える。(短文)


 初夢は奇妙なまでに現実的な内容であった。大学院の校舎 (もちろん、それは夢らしく荒唐無稽な建物であったのだが) を巡り歩きながら、自分の研究テーマについて考えていた。博士課程に進むならば、ゼミを選ばなければならない。ゼミを選ぶためには研究テーマがいる。では、研究のテーマをどのように組み立て、どのように説明するべきか。おおよそそういったことを考える、夢とも思索とも区別のつけられぬようなものであった。
 次に見た夢も、また一層現実的であり、それゆえに奇妙なものであった。新作のゲームが発売される。そのゲームはファミコンソフトの形を模しており、これまでに発売されたファミコンソフトのデータすべてが収められているという。ソフト上部につけられたダイヤルを回し、4桁の番号を変更することで、目当てのソフトを呼び出すことができる (スーパーマリオで遊びたければ「0001」といったように)。
 そのなかに麻雀のゲームがあった。これが、「当時としては努力の跡がみられるが、ゲームとしては成立していない」、いわゆる「クソゲー」なのだという。なるほど、実際にゲームをスタートさせるとどう足掻いても数巡で相手が自模 (ツモ) る。まるでゲームセンターにある脱衣麻雀ゲームの最終ステージのようだ (噂でしか聞いたことはないのだが)。相手の牌をオープンした状態でゲームの過程を見てみると、明らかに手牌がおかしい。毎度毎度、一歩間違えば天鳳にならんかのような美しい並びになっており、そのうえで絶対に狙った牌を自模るのである。
 さて、ここまで来て私は考えた。もしこれがプログラムの結果ではなく幸運によるものなのだとして、ではこのような幸運が起こる確率は一体どの程度なのかと。かつて高校数学で学んだ朧気な記憶を引っ張りだし、あれでもないこれでもないと考える。そうやって考えていたら、夜が明け、目が覚めた。
 いずれも、夢のなかで私は考えていた。


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