すれ違っていたからこそ出会えた - 『アイカツフレンズ』1話にみる「役割」と「当惑」 (考察)


 すごく忙しいのだけど、『アイカツフレンズ』の1話が屈指の完成度を誇っていたので、どうしても何か書きたくなった。本当はもう1カット1カット全て考察したいくらいに好きなのだけど、残念ながらその時間はない。そこで、ここではかなり的を絞って、わずか1分にも満たないシーンについて (具体的には動画の3:50辺りからについて) 考察してみることにしたい。

 なお、『アイカツフレンズ』1話は現在見逃し配信がされている ( https://www.youtube.com/watch?v=QqYsu2SshyQ )。これを見てからこの文章を読んでもらった方がわかりやすいので、ぜひ一度は見てください。絶対に見て損をするような内容ではないから!!


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 動画を見てもらったことを前提として、主人公あいねとみおの出会いのシーンを見ていこう。あいねはデリバリーのために、みおの撮影現場を尋ねる。そして、林のなかでみおと出会うのだが………その後のいくつかのカットがとても興味深い。まずは、(何も面白みのない描き方だが) 二人の出会いのシーンを簡潔にそのまま描写しよう。


 あいね:(林のなかにみおを発見)
     「きれいな子だな…」(つぶやき)
 みお:あいねに気がつく ⇨** 軽く会釈**
 あいね:「あ、こんにちは!」
 みお:(キョトンとした表情) ⇨ 笑顔 (オーラが出る)
 あいね:驚くような表情 ⇨ 笑顔
 あいね:みおにかけよる ⇨ 「何してるの?」
 みお:「え?」(困惑の表情)
 みお:「今は仕事中よ。ランチのデリバリーを待っているところなのだけど…」
 あいね:「あ、もしかして、みおさん?」⇨ バッグの蓋を開ける
 二人同時に:「トマトバジルチーズのスペシャルサンドイッチ!」⇨ 苦笑


 

 さて、以上が大まかな流れである。普通に見る限りではなんともない場面に見えるだろう。しかし、どこか違和感を覚えた人もいるのではないだろうか? 私は最初に『アイカツフレンズ』を見たとき、このシーンにちょっとしたひっかかりを覚えた。

 一見すると、このコミュニケーションは何も問題なく成立しているように見える。しかし、そうだとすると、みおの<キョトンとした表情>や<困惑>した表情はなぜ挿入されるのだろうか? ここでは一体どのようなコミュニケーションが行われているのだろうか。


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 場面の考察に入る前に確認しておきたいのだが、『アイカツフレンズ』1話では、言外の内に提示されている情報がとても多い。わかりやすい例を上げてみよう。例えば、みおに仕事の電話がかかってくるシーン。あいねは、弟たちに話しかける体でそっとその場を離れる。



 あるいは、会場入りのシーン。あいねから「おはようございます」じゃなくて、「こんにちは」と言われたスタッフの表情など、細かい部分に描写が盛り込まれている。



 こうした一つ一つの場面から、言葉の情報量は多すぎないのだが、演出上はとても饒舌であり、非常に作り込まれた1話であることがよくわかる。あいねとみおの距離感の演出も絶妙で、チャンバラ後の会話からドロケイなどに至る一連のシーンでは、短い時間で二人の関係の様々な変化が描き出されている (鮮やかすぎて、その鮮やかさに気が付けないレベルで、非常に上手い)。では、このように1シーンごとに情報が盛り込まれたアニメであることを踏まえたうえで、先程のシーンへと戻ろう。あいねとみおが出会ったとき、二人の間には何が起こっていたのか。


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 みおの表情の変化が示唆するのは、あのコミュニケーションがみおにとって「想定外のもの」であったという可能性である。

 みおは、はじめにあいねに対して軽い会釈をする。これは単純にあいねを「たまたまこちらに注目していて、たまたま目があった人」として認識したためであろう。



 それに対して、あいねは「あ、こんにちわ!」と話しかける。みおはここでキョトンした表情をしたあと、オーラ付きの笑顔を返す。

 まず、キョトンとした表情は、あいねが自分に対して話しかけてくるとは思っていなかったための表情であると考えられる。まぁふつうによくあることだ。では、オーラ付きの笑顔は? なぜみおはここで最大限のサービスをしたのか。

 これはおそらく、あいねを「ファンの一人」として認識したための行為だったのではないだろうか。「たまたま目があった人」として会釈した相手が、突然話しかけてきた。そこで、今度は「おそらくファンの子なのだろう」と推測し、アイドルとしての笑顔を返すのである。



 学園トップアイドルのみおからすれば、このような切り替えは日常的に求められてきたものなのだろう。こうしてみおは、場面に応じて求められた役割を適切にこなすのだ。彼女のアイドルとしての力を視聴者に理解させるための、非常に優れた描写であるといえる。

 しかし、みおが真に「当惑」するのは、実はこの後だ。

 あいねは、この笑顔に対して、笑顔を返す。そして、自分からかけより、「何しているの?」とみおに尋ねる。それに対してみおは、驚いたような、困惑したような、まさに「当惑」ともいうべき表情を見せるのである。



 みおは、あいねのことを「当然自分のことを知っているファンの子」だと思って扱おうとした。しかし、あいねはその笑顔を自分に対する友好のメッセージとして受け取り、一気に距離を縮める。そして、突然「何してるの?」と尋ねる。

 みおは、このあいねの接近に驚きを隠すことができない。学園のトップアイドルとして彼女がファンの子たちとの間に (あのオーラをまとった笑顔で) つくってきた一種の壁のような距離感を、あいねは「勘違い」から踏み越えていくのである。こうして、二人は、ただの店員と客ではないような関係として、出会うことができた。


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 以上をまとめておこう。みおはあいねを「ファンの一人」として「勘違い」し、笑顔を送った。それに対して、あいねはその笑顔を「(友達に対するような) 友好の笑顔」だと「勘違い」し、一気に距離を縮めた。このように二人は、それぞれが自分の参与するコミュニケーションについて、自分の経験から解釈し、その解釈に則ってそれぞれの行為を試みている。

 一般論になるが、それぞれ全く異なる世界に生きてきた人同士が出会うとき、同じ場に居ながらその場への解釈がすれ違ってしまう場合がある。人は自分自身が参与する場を、自分のなかの「物語」に沿って解釈するのであろう。それゆえに、その物語を共有していない人同士が出会うと、同じ場面がそれぞれにとって異なる意味を持つようになったりする。

 以上をふまえてみると、このシーンで効果的に描かれているのは、トップアイドルであるみおと、普通科の生徒であるあいねとの間で、参与する場への解釈が「すれ違って」いたということである。みおがトップアイドルであるということを全く知らないあいねは、みおと場の解釈を共有できず、みおが求める適切な距離感を共有することができない。みおの当惑の理由はそこにある。そして、このようにすれ違っていたからこそ、二人は出会い、距離を縮めることができた。ここにこの場面の面白みがある。

 仮にあいねがみおのことを「トップアイドル」だと知っていたら? 彼女はもう、「ファン」と「アイドル」の関係としてしかみおと接することができないことになる。だから、おそらくみおの笑顔に感激はするだろうが、「何してるの?」と近寄っていくことはできない。「ファン」としての役割を受け入れ、適切な距離感を保ってしまうのだ。

 そこでは、あいねとみおの解釈はすれ違わない。それぞれが求められた役割を演じることができる。みおにとって予想外のことも起こらないから、当惑も起こらない。しかし、二人は今のような形で出会うこともできない。


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 わたしたちは、互いの役割を演じることで、適切な距離感を持ってコミュニケーションを行うことができている。たまにその役割を共有できないと、コミュニケーションへの期待が裏切られ (これを違背と言ったりするのだが)、コミュニケーションの失敗が観察されたりする。それへの修復が試みられるような場面もあるだろう。修復に成功すれば、適切な距離感は回復され、わたしたちはまた距離を採ることができる。当惑することのない安心な世界にいることができるのだ。

 だが、『アイカツフレンズ』1話が短い時間のなかで表現するのは、求められた役割を演じないからこそ、期待された距離を越えて、人と出会えることもあるということであった。すれ違っているからこそ出会えることもあるし、相手のことを知らないからこそ新しい関係をつくることができることもある。その可能性をこのシーンは示唆しているのである。

 もちろん、すれ違いは当惑という不安を生むだろう。多くの場合それはやはり失敗であり、あまり楽観視ばかりするのも良くない。しかし、そのような不安と隣合わせであるからこそ、この二人の出会いは視聴者をこんなにもワクワクさせてくれるのであろう。まだ『アイカツフレンズ』は始まったばかりだが、このようにして出会った二人が今後どのような関係を築いていくのかが本当に楽しみで仕方がない。










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