忘れてしまうこと / 初心に帰る。(短文)

 昨日の記事の続きを書いていこう。私は、夢のなかで考えていた。よくよく考えてみると、人はどうやら夢を見ているときにもあれこれと考えているらしい。そのうえで、次のようなことを思いふと虚しくなった。人は一番最後に見た夢だけを覚えているという。それまでに見た夢は忘れてしまうのであろう。どのようにしても思い出すことはできない。では、その忘れてしまった夢のなかで私が考えようとしたこと、必死に考えたかもしれないことはどこへ消えてしまったのか。夢は私の頭のなかにしかない。その私が、夢を忘れてしまったなら、一体何が残るというのか。
 いや、夢だけではない。目を閉じてじっとしながら、寝入り際にまで確かに何かを考えていたりする。大抵はとりとめのないことなのだが、時折何か大切に思えることをひらめくときがある。確かに何かをつかんだ。これを忘れないように繰り返し唱えよう。私は頭のなかでその一つの閃きを、そこに至るまでの論展開を、必死に繰り返そうとする。しかし、やがて雑念、思考の濁流に飲み込まれる。振り払うすべもなく、その閃きは形を変え、もはや原型も思い出すことのできない何かへと変貌する。目が覚めたときには、私の手元には何も残っていない。
 最近、ブログの更新を怠っている。そもそもブログを始めた理由は、自分の考えたとりとめのないアイディアを忘れぬように残しておくためであった。どんなにどうでも良いことでも、いつかは何かの役に立つだろう。毒にも薬にもならぬだろうが、忘れてしまうよりは幾分かマシであると。しかし、やがて記事の内容が長文となり、その分書くことへのハードルがあがり、今ではほとんど書く気力を失ってしまっている。未だ書きたいことはある。そうした気持ちはどこかに残っている。それでも、それをまとめあげることに対するハードルの高さが勝ってしまうのだ。
 だが、やはり書きたいことをどこにも書かずに、すべて忘れ去ってしまうのはあまりに無益だ。何もないよりはまだ何かを書いて公開したほうが、自分にとって (もしかしたらどこかの誰かにとっても) 良いはずだ。どのような意味で「良い」のかを説明するのはなかなか難しいのだが、それでも (青臭い表現になるが) 何かを残したことにはなるはずである。だから、毎日なんとなく短文を書いてみることにした。

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