魔法使いプリキュアの物足りなさはどこから来るのか ―第5話までの感想


 手短に。

 魔法使いプリキュアにどこか物足りなさを感じるのだが、それはメインとなる概念が未だ提示されていないからだと思う。

 このところのプリキュアでは「スマイル」でも「ハピネス」でも「プリンセス」でもいいのだけど、基本的には初めの方で作品を貫く概念が提示されていた。たとえば「スイート」などでは「ハーモニー」が話の軸となり、それは一年間貫かれている。二項対立に見えたものが実は二項対立ではなくハーモニーを奏でるという形のストーリーが徐々に規模を広げながらリフレインされるのである。最初は〈響 / 奏〉、次に〈ハミィ / エレン〉、やがて〈メジャー / マイナー〉、〈音楽 / ノイズ〉……。このようにハーモニーというテーマは一年の軸となっていた。

 あるいは、主人公は譲れない何かを持っていた。それは作品が背負うテーマと大体の場合一致している。度々「幸せハピネス」を強調するめぐみ、あるいは「プリンセス」という夢を背負い続けるはるか (どちらも、その譲れないもののせいで苦しむことになるのだが)。一見タイトルからテーマを想像できない「ドキドキ」の場合も同様で、あれは「愛 (エロス[レジーナ]🔃 アガペー[あぐり])」をテーマにしながら、作品の冒頭ではマナが人のために自分のすべてを投げ捨ててしまいかねないことがその危険性とともに描かれていた。マナにとって譲れないものは「他者への愛」であり、それは「保身、あるいは利己的な愛」よりも重要なものとして捉えられているのである。(*これはもちろん、「徹底的に自分が求めるものを中心にして生きるレジーナ (世界を見捨ててでも自らの愛する父を守ろうとする王女の心)」と「自分が求めるもの以上に、他者への慈愛を中心にして生きるあぐり (自らの父を殺して世界を守ろうとする王女の心 = 登場当初のキュアエースの「ヒーローすぎる」ほどのヒーロー描写)」と相互作用するなかで少しずつ変容していく。対立しているかのように見えた〈エロス / アガペー〉の「愛」が、やがて一つの「愛」に収斂していくのである。) ともあれ、少なくともそれぞれの主人公は、譲れないもの (行動の指針) を持つ者として描かれていた。

 さて、「魔法使い」の話に戻ろう。

 結論から言えば「魔法使い」序盤の物足りなさは、(1)「魔法」は作品のテーマを十分に表すことができる言葉ではないし、(2) 人間関係を規定する価値観 (≒主人公の行動指針となる価値観) でもないというところから来るのではないだろうか。

 (1)から述べる。端的に言ってしまうが、「魔法」は作品のテーマを背負うような概念ではない。それは作中世界の設定でしかない。しかし、「魔法使い」序盤はその設定を解説することに集中してしまい、結果として作品のテーマを打ち出すことができていないでいる。

 もちろん、「手をつなぐ」ということが強調されてはいる。しかし、何のために手をつなぐのか、手をつなぐことで何が達成されるのか、などについては実は未だ作中では描かれていない。

 そして、この「何のために手をつなぐのか」という理由の欠如 (あるいは作中のテーマの欠如) は、「敵」の不明瞭さとおそらく相関している。プリキュアの背負うものが不明瞭である以上、それに対立するものを提示できないから、敵も不明瞭な存在になってしまう。そして、敵が不明瞭である以上、プリキュアたちの行動原理もまた不明瞭になってしまう。このような理由から、彼 (彼女) らがどのような価値観を軸に争っているのかは未だ見えてこない。そして、それが結局、作品のテーマの不在を更に際立たせてしまう。

 (2)に移ろう。果たして、みらいは何のために行動しているのか。いまのところ、「好奇心」がほとんどの行動原理になっている。「わくわく」するかどうかが関心の中心なのだ。なるほど、「魔法」とは「わくわく」させてくれるものであることは間違いないので、この点では確かに「魔法使い」の設定にふさわしい主人公ではある。しかし、プリキュアとして何を打ち出したいのかは未だ不明瞭なままにとどまっている。この作品のなかで、譲れない価値観は何なのか。それを彼女は体現できていない (これもまた、(1)で述べたいくつかのことがらと相関している状態であると考えられる)。

 しかし、「手をつなぐ」ということを強調している以上、「魔法使い」は主人公個人の価値観よりも〈みらい・りこ〉の関係性に注目したほうが良さそうでもある。二人の関係性のなかに作品のテーマが含まれている、そう予想するのが妥当だろう。では、この二人の関係性が作品を一年駆動させる力を持っているかといわれれば、それもまた疑問が残る。少なくとも現在の時点ではそれほど変わったことをやっているようには見えない。


 プリキュアは、「プリキュア」という名を掲げるだけではプリキュアにはならない。これまでのプリキュアは、タイトルや主人公に概念や価値観を背負わせることで、「プリキュア」という名に意味を与えてきたのである (共通了解があるかのように思われてもいるが、実際には例外が多く作中に登場するため、完璧に守られている共通の理念などはかなり少ない。「女の子は誰だってプリキュアになれる」にしても、一応「キュアセバスチャン」などの例外がある)。逆に、プリキュアの意味が完璧に規定されていたらこんなに多くのバリエーションを作ることはできなかっただろう。

 しかし、逆に言えばこの自由さは、プリキュアは「プリキュア」と名乗るだけではほとんど意味を持たないということも意味している。もちろん、「変身して戦う」などの設定を借りることはできる。しかし、「プリキュア」という名が作品のテーマを与えてくれることはないのである。だから作品のテーマはその作品がそれぞれに打ち出すしかないのだ。

 「魔法使い」はまだ序盤であり、これから先どうなるかはわからない。だが、今のところは上に書いたような理由からどうしても物足りなさを感じてしまう。だから、「魔法」が押し出されているにも関わらず、「魔法はわかった。しかし、今年のプリキュアは何を押し出していくのか」という不思議な疑問が頭をよぎってしまうのである。

 まぁ他作品だってそんなに早くテーマを出せていたわけでもないし、一年アニメだし、兎にも角にも今後に期待というところだろうか。とくに敵とプリキュアがどのような対立軸を形成するのかは序盤の重要な要素だと思うので、ここに注目していきたい。以上。


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