ものすごく良質なゲームのPVを見ませんか? あるいは、ゲームで自分の小指を切り落とした日の話


 今どき「アドベンチャーゲーム」という言葉を使うのも何なのだけど、選んだ選択肢で物語が変わっていくタイプのゲームについて話をしたい。こういうゲームは、どうしても動画を見ただけで満足されてしまうことなどもあり、近年ホラーゲームとともにその数を減らしつつある (多分)。

 でも、「選んだこと」が「画面に反映される」その衝撃は、プレイした人にしかわからない。例えば、私はゲームのなかで、「私の選択の結果」犬を交通事故で殺してしまったことがある。あるいは、自分の小指を切り落としたことがある。そのときに私のなかに残った感覚は、そう容易に言葉にできるものではない。何年経っても、私のなかに残り続けている。

 あの衝撃はどうしても言葉にできないなーと思ったまま胸の中に長年しまいこんでいたのだが、間もなくその「犬を死なせてしまったゲーム」の続編 (というか前日譚) が発売され、「小指を切り落としたゲーム」と同じ制作会社がつくったゲームが世に出されようとしている。だから、ここらで少し何か書いてみようと思う。

 ただ、そういうことを抜きにしても、これから紹介する2つのゲームは、PVの作り方が本当に上手い。とても引き込まれる。こんなに上手くて引き込まれるPVなのに、残念ながら日本ではあまり話題になっていないようなので、とにかく誰かに見てもらいたい。そういう気持ちもあって、紹介してみようと思った。


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◎巻き戻して選ぶことはできる。しかし、その選択が何につながるのかはわからない


 まずは2016年発売の『ライフイズストレンジ』を紹介しよう。ただ、とにかくPVの雰囲気が良いので、とりあえずは以下の動画を見て欲しい。



 ほんの少しだけ時間を巻き戻せるようになった女の子の物語。時間を巻き戻すことができるので、選んだ結果を見てから、自分の選択を変えることができる。だからこそ、このゲームは「自分が選んだ」ということをプレイヤーに重くつきつけてくるのだ。思い返せば、私はおそらく時間を巻き戻して、「犬を殺さない」という選択をすることもできたはずだ。その選択があることを知り、巻き戻すことが可能であると知りながら、私はその結果を「選んだ」。こうした形で、このゲームは選択の重さをプレイヤーに投げ返すのである。

 そして同時に、非常に良くつくられていると思うのだが、主人公が巻き戻せる時間はほんの短時間だけなのである。だから、ある選択が後々になって物語にどういう影響を与えるのかを知ることはできない。ある時点において最良だと思った選択が、最悪の結果で帰ってくることも度々ある。それが深い後悔や、逆に達成感を生んでくれる。

 要するに、「短時間の巻き戻し」というシステムは、「あなたが選んだ」という自覚をプレイヤーに促しながらも、プレイヤーに想定外の衝撃をもたらしてくれる。この点で非常に優れたシステムであったといえよう。

 そしてこの度、このゲームの前日譚が6月に発売されることになった。前日譚なので時間巻き戻し能力は関係ないのだが、やはり世界観がとても良い。ぜひPVを見て、もしよければ購入を検討してほしい。



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◎ゲームのなかに、私の身体がある


 続いて、5月に発売される『Detroit Become Human』を紹介しよう。これまた本当によく出来たPVがいくつも用意されているので、まずは以下の動画を見て欲しい。



 見てもらえればわかるとおり、典型的な「選択肢によって結果が変わる」ゲームだ。ただ、あまりのリアルさに、「それ以上の何か」まで昇華されている。

 Quantic Dream社のゲームは、最先端のグラフィックといくつかの仕掛けによって、プレイヤーをゲームのなかに取り込む。ここではその仕掛けに触れてみたい。

 例えば、同社のゲームで特徴的なのが、「登場人物の誰が死んでもゲームは進行する」という点である。この仕掛けは、ゲームオーバーによる「選び直し」を不可能にすることで、プレイヤーに途方もない緊張感を与えてくる。どんな選択をしてどんな結果になったとしても、プレイヤーはそれを受け入れなければならない。なぜなら、どんな結果になっても物語は進んでしまうのだから。この点でQuantic Dream社のゲームは、『ライフイズストレンジ』と好対照であるといえるだろう。『ライフイズストレンジ』はアドベンチャーゲームのゲーム性を「時間巻き戻し能力」という形で物語内に落とし込んでいるが、Quantic Dream社は、「不可逆である」という現実性の方をゲームに落とし込むのだ。

 そして、もう一つ特徴的なのが、様々な動作をプレイヤーに操作させるという点である。物を拾い上げる、タブレットを操作する、ドアを開ける……という一つ一つの動作のために、プレイヤーはコントローラーを動かさなければならない。これは面倒でもあるのだが、この一つ一つの操作を経て、いつしかプレイヤーはキャラクターと自分を同一の存在として捉えるようになるのだ。だから、ゲーム内で「小指を切れ」と言われたとき、私は今までに感じたことのない葛藤に襲われることになった。

 それは同社の『ヘビーレイン』というゲームにおいてのことである。誘拐された息子を探している父親は、いくつかのヒントを元に、とあるアパートの一室にたどり着く。そこには、カメラとタブレット端末。そして、タブレット端末から音声が流れる。「あなたの息子を救いたければ、5分以内に小指を切り落としてください」と。

 ゲームのなかで指を切り落としたところで、一体何が起こるというのだろうか? ふつうなら、何一つ葛藤のないまま、ケロッと切り落とせるはずだ。しかし、私の呼吸は浅くなり、手や額には汗が浮かび、画面の中のキャラクターは振り上げた包丁を何度もおろしては、深呼吸を繰り返していた。

 何より私に葛藤を与えるのが、「切らないこともできる」ということだ。切らない場合は、切らなかったものとして物語が進んでしまう。後から戻って切り直すことはできない。そして、もし切ることを選んだ場合、今度はあらゆる動作をすべて自分でやることになる。例えば、単純に小指を切り落とすといっても、様々な方法があるだろう。のこぎりでも良い。包丁でも良い。鉄を炙っておけば、切断面を焼いて止血できるかもしれない。酒を飲んで感覚を鈍らせてもよいし、クスリもある。時間は5分しかないから、とにかく選ぶ必要がある。次に、道具を手に持とう。深呼吸をする。思わず、自分まで深呼吸をしてしまう。ここで、道具をおいて逃げることもできる。それでも包丁を振り上げる。しかし、振り下ろせない。時間はない。焦って呼吸が浅くなる。もういっそコントローラーを投げ出したくなる。しかし、投げ出しても物語は進んでしまう。だから、最後には、私は私の小指を切り落とした。


 様々なゲームをプレイしてきたが、そのなかでも最も衝撃的な瞬間の一つであったと思う。私は紛れもなくあの日、自分の小指を切り落としたのだ。


 繰り返しになるが、こうした衝撃は動画を見ても決して伝わるものではない。自分で選んだ、ということが重要なのである。それはおそらく『Detroit Become Human』でも同じだろう。以下のPVを見て欲しい。あなたはもしかすると、子どもを救えないかもしれない。そのときの衝撃は、プレイした人にしかわからない。



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 以上、意外と全然注目されていないけれど、こういうゲームが出るんだよ!という話でした。ここまで心を揺さぶってくれるタイプの娯楽はなかなかないと思うので、どこか退屈している人にはぜひ触ってもらいたいな……。




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