佐藤俊樹『近代・組織・資本主義』4章・5章


◯ 第四章 個体的戦闘者と「自由」 -「日本的」社会の誕生-


 徳川の平和の下、武士の移動コストは大きく上昇する。武士は自由に主君を選択できなくなるのである。近世の家制度はその固定が生む葛藤を解消するために、従者と主君の情緒的な結合を発明した。自由な個体的戦闘者をいかに秩序づけるかという日本版ホッブズ問題にはこのようにして対応が図られたのである。

 近世日本は近代組織の成立条件を満たしていたが、「法」が主君個人の命令の域を出なかった点で西洋との大きな違いを有している。そしてその結合が情緒を根拠にしている以上、その「法」が従われているのは、それがルールとして妥当だからでも規則だからでもない。ただ主君の命令であるからだったのである。

 家の内部に居続けざるをえない状況は武士だけではなく町人・商人においても同様であった。ここで登場してきたのが儒教であり、それは情念の相互反射の重要性(例えば、我能く人を愛すれば、人亦我を愛す。)と、統治者による人為的な制度技術の必要性(道なる物は統名なり。)を説いた。 

 これらはいずれも、自由や欲望を否定するものではない。自由や欲望を否定せずに、関係の内閉化を肯定するものであったがゆえに、こうした論理が必要とされたのである。しかし、朱子学が説く「理」のような、理想的秩序状態を想像する余地を、近世日本は失った。

 そして、「この形式の下では、個人の欲望充足の合理性は原理的には分離されない。心情反射作用は他人の欲望を満たす欲望として、個人の欲望の延長上にある。(…) 西洋の近代組織が個人の合理性Ⅱ=自由意志の選択を根拠に、個人の合理性Ⅰ=欲望を禁止することで組織の合理性を実現するのに対し、心情反射作用の公理は欲望そのものに共通利害を創出する性能をおく。その共通利害 (=集団主体の欲望充足) がそのまま組織の合理性となる。ここには欲望に対抗する自由意志という契機はない」。個人は組織へと連続するのである。



◯ 第五章 「私」的個人の社会 -日本近代の軌跡-


 近代日本の自由論は、自由を生体的機能によって基礎づける (欲するところに従うことが自由なのである)。ここに見いだせるのは、日本における「理想の個人」「理想の社会」像の欠落である。日本はその近代化の初めから、「近代の自由なんて「実は」生体的欲望の反映にすぎない、近代市民社会とは「実は」私利私欲を追及する社会にほかならない」といった暴露とそれによる西洋の相対化を可能にしてしまうものであったのだ。要するに、西洋近代が持つ根底的な動力を (そして秩序性の根拠を)、日本は欠いていたのである。

 このように生体的機能に基礎づけられた個人観を有する日本社会が持つ一次モデルとはどのようなものであったか。それは (1) 心情の政治学と、(2) 法の社会工学との間の振り子のようなものであった。要するに、近世の儒学が掲げた (1)' 情念の相互反射による秩序形成と、(2)' 統治者による人為的な制度技術による社会統制と同型のモデルであった。

 そしてモデルが同一である以上、近代日本が有する弱点もまた近世日本と同様のものである。(1)'' 心情の政治学は「この関係性である」必要性を説明することはできないし (ルールが妥当だからではなく情緒関係を根拠に関係を結んでしまう)、(2)'' 法の社会工学は「なぜこの法なのか」を説明することができない (理想の社会像がない以上、それを説明することができない)。

 そして、こうした脆弱性を隠蔽するために、一つの「空虚な身体」が設定された。それが天皇である。天皇は「私」性のなさを強調されるようになり (これによって「天皇は日夜日本国のことだけを考えてくれている。それなのに国民が日本国のことを考えなくてどうするか」といったように心情の反射が起こる)、ここに「法による統治と神聖さによる統治」の特異な二重性が成立する。

(*「あの人が頑張っているのに、自分だけ先に帰るわけにはいかない…」という、あの感覚を社会全体に生み出すのが天皇であった、ということ。)

 結局、理想の個人像も理想の社会像ももたない日本は、制度Ⅱにあたるもの=ある制度を選択する根拠を持たない。理念は身体へと回収されてしまう。社会は自由な個人の存在を認めながらも、その自由ゆえに社会へと包摂される方向へと論理を組み立てている。






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