ナショナリズムとパトリオティズム (短文)


 橋川文三『ナショナリズム その神話と論理』(1968) を読み始めた。まだ読み始めたばかりなのだが、メモを残しておく。

 橋川は本書冒頭においてナショナリズムの定義付けにまつわる問題を検討していくのだが、その際にナショナリズムと混同されやすい概念としてパトリオティズムを挙げている (文庫版:22)。パトリオティズムとは「故郷」に対して抱く感情のことであり、例えば次のようなものである。ミヘルスの『パトリオティスムス』より。

「谷川のとある屈曲、庭の裏手の灰色に古びた木戸、ストーブで焙られているリンゴのかおり、温かい両親の家にただよっていたコーヒーや料理の匂い、町から郊外へ、郊外から町へと野原を通っていた小路、その小路を歩いた思い出、童謡のメロディ、子どもの頃のある夕暮れのざわめき……それらが祖国である。人間にとって祖国とは国家のことではなく、幼少期のふとした折のなつかしい記憶、希望にみちて未来を思い描いたことの思い出のことである。」(橋川,1968 :p.24より孫引き)

 橋川が注意を促すのは、このような郷土愛とも呼べる感情は、国家への愛情に必ずしも直結するものではないではないということである。

 このことについて少し考えてみよう。例えば沖縄について。沖縄において基地建設をめぐりデモが多発したこと、他方でその基地を建設するために投入される労働力もまた多くは沖縄の人びとであったこと、基地問題をめぐってそうした考え方の違いを原因とする対立が先鋭化したことは記憶に新しい (というより、現在も進行中の問題である)。第一に、基地問題などにおいて顕著になるように、沖縄などでは「故郷 (の海) に対する思い」と「国家への愛情」なるものは反発しあうことが多いと予想される。前者が深いがゆえに、その景色を壊さんとする「国」を、許すことができなくなる (そもそもナショナリズムが「祖国への愛情」を意味するものだするならば、多くの沖縄の人たちにとって「日本国」に対しナショナリズムを抱くことは非常に困難なことであるといわざるをえないだろう。琉球王国から米国による統治まで、沖縄の歴史は「日本国」を祖国であると考えるにはあまりにも複雑である)。ナショナリストのなかには「日本はスゴイ」「日本は誇れる」「地元の産業のすごさを知れば若者にも愛国心が芽生える」、「ひいては国家を重んじ国家に貢献するようになるはずだ」などと考える輩もいるのだが、こうした短絡が必ずしも成立するものではないことがここからもよくわかる。「地元を好き」になればそのまま「日本を好きになる」と考えるのは人の生活を無視した一種の思い上がりであり、「地元が好き」だからこそ「国家が行うことに対抗する (対抗せざるをえない)」という人もそれなりにいる。基地以外にも、原発やカジノなど、様々なものを思い浮かべることができる。

 他方でこれは、「地元が好き」という気持ちをそのまま「愛国心の表れ」として嫌悪することは控えた方が良いということも意味している。パトリオティズムとナショナリズムの結びつき方については慎重に検討をした方が良い。その結びつきは多様でありうる。そして、結びつきが多様でありうるということは、例えば基地建設をめぐる対立の中で、両陣営がパトリオティズムを自身らの運動に動員しうるということも意味する。基地建設に反対するために地元愛を掲げることも、基地建設にあたって地元愛を掲げることも可能なのである。すると、当然ながらそれぞれの陣営がどのように人の感情を自身の運動に動員しているのかを見ていきたくなる。その動員方法には様々なものがあるはずだ。

 その点に関してさらに気になるのは、そもそも愛郷心なるものはどのようにして呼び起こされるのかということである。ミヘルスは幼少期の体験、幼少期に自身が確かに過ごしたふるさとでの思い出といったものをパトリオティズムの原型としているように見えるのだが、そうした実体験にもとづかない景色に対しても我々は愛郷心のようなものを感じうる。昭和30年代の生活を経験したことのない人が、昭和30年「的な」記号群に一種のノスタルジーを感じてしまうように (そもそも沖縄の景色自体がハワイを模倣してつくられたものであることを想起しておく必要もあるだろう)。そうした気持ちがどのように呼び起こされているのか。また、そうした感情が祖国への愛情たるナショナリズムへと結びつけられるのだとすれば、そのはどのような操作によって、何を見せないようにすることで可能となっているのか。


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