関西ハードコアの歴史其の九

最後に京都の話にも触れとこうと思う。ビートクレイジーや、1981年に組織された企画団体でバンパイヤ!の和田さん、ウルトラビデの藤原さん、コンチネンタルキッズのランコさんとシノヤンらによって運営されとった。京都大学西部講堂を拠点に、独自の企画を生み出してたんやけど、当時京都でライブしようと思ったら、ビークレと繋がってないとやらしてもらえんっちゅう変な状態にあった。別に圧力とかやなくって、ライブハウスがパンクバンド枠は、ビークレ窓口のみっていう形を好んでた。ケンカやら機材盗まれた、壊した、壁に穴あけたドア破った…もろもろのトラブルがパンクのライブには当時当たり前やったから、トラブル対策やったかも。

もうひとつノイズボックスっていう企画やってるとこがあって、THE SCENEがアビエックスに変わり、ハードコアイベントを行うようになり、関東からもバンド(初期のガスタンクやGHOUL、GAUZE)を呼び当時の人気イベントやった。MOBS、COBRA、FREEDOM、ZOUO、メリーゴーランド、バッドバルチャーズ、GREED、BONESなんかも一緒にやってた。MOBS、ZOUOの解散ライブもここの企画やった。

西武講堂の横にロックアゴーゴークラブってのがあって、小さなイベントをやってた。大学の部室みたいな小さな箱でMOBS、COBRAなんかも出てたと思う。とある人物によって機材などが盗まれ、そこは活動停止に。イベントをそこでやらなくなってからは、ビートクレイジー関係がそこで練習してたりした。

西部講堂では規模の大きなイベントが多く、ジャンルに縛られない多くのバンドが出てたな。ハードコア系ではZOUO、BONES、GREED、コックニーコックス、シティーインディアンなど、近くにはサーカス&サーカス(CB&GB)もあって、まだ中学生のOUTOも出てたりした。

コンチ以上に当時の京都で忘れていかんのは、『ZIGZAG』やな。
あんまり語られる事はないけど、ラモーンズ初来日の時の関西公演で京都会館別館とスタジオあひるでフロントアクトを務めたんや。ハードコアじゃなくてNYパンク+R&R+関西ヤンキー的なバンド。メジャーデビューして1枚アルバム出てるし、映画のテーマのシングルも出してる。

同じ頃京都で、日本最古のスカバンド、ノーコメンツっていうのもメジャーデビューしてた。ちょうど、町田さん率いるINUが大阪でやってたころで、この3つが注目の関西NewWaveって言われてた。町田さんばかり注目されるけどこの2つも中古屋で見かけたら必聴やで。こんな時代に思ったらグッとくるもんあるで

90年前後にバンドブームとやらが起きて、ライブハウスもその頃から客層が変わってきて、ややこしい事は少なくなったように思う。
今でも時々スタンディングのライブなんかに行くけど、何ともいえんキナ臭い緊張感が客席には全く無いし。
これはこれでええ事やと思うんやけど、なんか刺激が無いような気もして、少々寂しい感じも残る。何より今はライブハウスに来る若い客が減ってきてる気がする。音楽も多様化されて客も分散してるからって事もあるんやろうけどね。こんな事言い出すとジジイになった証拠かも。

最後にちょっと懐かしいの。
84年のAA不法集会GIGの時のCOBRA「Oi tonight」
この曲の時だけベレー(ex.CITY INDIAN、ラフィン)さんが飛び入りで
ベース弾くってのが恒例やったよう

演奏が終わった後、ベレーさんが♪ランランランララ、ランランラン♪って歌って合唱が始まるんやけど、これは246スタジオのチャイムの音なんや。つまりは円広志さんあっての関西ハードコアシーンってわけや。《おわり》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?