関西ハードコアの歴史其の三

ナシは、LAUGHIN'NOSE加入以前の岡村さん(PON)(B.)を中心に79年秋に結成された特異なビート感覚を持つバンドやった。半年程の活動を経てKOSHI(Vo.G.)が加入し高速パターンへと進化していったその過程は当時PONのベースがモールスベース(モールス信号みたいな矢継ぎ早のピッキングのベース)と呼ばれとった事からも想像できるんやけど、更に80年代初頭の関西シーン中枢で常に一歩先から存在感を示しとったKOSHIの毒の入ったヴォーカルとギター、当時最高速と言っても過言ではないビートを叩き出す敏腕女性ドラマーYONのドラムが加わったそのサウンドは正にハードコアパンク以外の何物でもないやろ!! 

ナシ時代の岡村さん(PON)はGジャンスタイルで何か短髪の黒髪でGIみたいな髪型やった。
ラフィン加入前後くらいに金髪モヒカンになっておった。
で、小山さん(YOU→チャーミー)は当初この人が後にハードコアパンクを演るようになるなんて想像できないくらい好青年?な感じやった。
こちらも短髪の黒髪でクリンとした可愛らしい(失礼・・)アタマで、その後その頭で金髪になり、そしてその後頭をトンガらせる様になり(これは、LP『OUTSIDER』参照・・あのカラアゲヘア・・)
さらにダイエースプレーでトンガらせるだけでなく、上からプラモ塗装用の赤スプレーで頭を染め(当時ヘアカラーも無かったし試行錯誤やったんや1stソノ『GETTHEGLORY』参照)
(注)当時は金髪にして街を歩けるのは相当勇気のいる行動やったんや。そんなヤツまぁおらん時代やから。
完全にハードコアに進化?していきよった。
EXPROITED(PUNKS NOT DEAD?)以降、急速にこんなスタイルが浸透していきよったんや・・・。

小山さん(チャーミー)はラフィン結成後、東京の横山さん(SAKEVI)と親密やったと思う、
スピリッツがおうたんやと思う。東京でも小山さんの事悪ぅ言うヤツおらんやろ。
特にAAレコード発足後フライヤーや雑誌広告も横山さんデザインが多かったし(彼のは特徴あるからスグわかる、ちなみに岡村さんデザインもスグわかるケド・・)
一方、岡村さん(ポン)とモホークス連中とは親密やったと思う、
AAレコードも岡村さんの力が大きかったんやろな・・・って言うか彼のレーベルような気がする・・
AAレコードの発送元も大阪府八尾市って・・・実家やん!岡村さんの・・!
ほんで岡村さん懐ひろいしな!メジャー後も俺の弟分やいうて紹介してもうたんがトッツアン(SOB)やったり、ラジオでしきりに大阪のシーンとして新谷(レイプス)の悪行を紹介したり・・・・・《つづく》

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